「県会沿革誌」という資料に、明治時代の本県予算の一端をうかがい知ることができる記録が残っている。3代目官選知事の三島通庸(みしまみちつね)が、県庁を宇都宮市に移転した1884(明治17)年度の県予算は約47万3千円だった▼県立文書館の山本訓志(やまもとのりゆき)さんによれば、大まかに言うと当時の1円は今の2万円に相当するそうだ。それに当てはめれば約94億円に上る。内訳を見ると主な項目として警察費や土木費などが計上され、いわゆる民生費は見当たらない▼それから130年余。8日に発表された2019年度当初予算は、8千億円を超えている。当時のほぼ90倍の規模に膨れあがったことになる。その分だけ、県民の暮らしも向上していればいいのだが、さてどうだろう▼会見で福田富一(ふくだとみかず)知事は予算の特徴を「人材、防災、国際、とちぎの魅力、実力発揮予算」と命名したいと強調した。韻を踏んでなかなかに工夫の跡が見られるが、肝心なのは栃木の発展にどう結びつけられるかだ▼一方で借金に当たる県債残高は1兆1千億円を超える。次世代へのつけ回しがこれ以上増えぬよう、一層の健全財政を求めたい▼ちなみに三島県令は無理な道路工事を強行し、県議だった田中正造(たなかしょうぞう)が議会闘争に打って出たという。常に住民の側に立つ正造の心構えはいつの時代にあっても学ぶべき点が多い。