東日本大震災からきょう11日で8年。震災に伴って起きた東京電力福島第1原発事故は本県にも大きな影響を及ぼし、放射性物質を含む指定廃棄物問題はいまだ解決に至っていない。下野新聞社などが加盟する公益社団法人日本記者クラブ(東京)の福島取材団の一員として2月、原発がある福島県大熊町に入った。原発構内や同県で発生した除染土の中間貯蔵施設、町内の人々の現状を報告する。

廃炉作業が進む福島第1原発の原子炉建屋と、取材する記者たち(筆者とは別の班)=2月5日午後、福島県大熊町(代表撮影)

崩れた壁 あの日のまま

 8年が経つとは思えないほど、生々しく事故の爪痕が残っていた。

 バスから降りると、高さ50メートルの原子炉建屋に囲まれた。圧迫感が迫る。事故当時のままという崩れた壁やむき出しの鉄筋、へし曲がった配管-。錆(さ)びが時の経過を伝えていた。昼休みで重機の音は止まり、太平洋からの冷たい風が吹き付けていた。

 2月8日午前9時半、約20人の取材団の一員として福島第1原発の敷地に入った。入退域管理施設で身分や持ち物のチェックを受けた。持ち込めるのはペン、ノート、録音機だけだ。

 出勤する男性作業員たちが横のゲートを淡々と通っていく。人の多さに驚いたが、それでもピーク時から半分近く減り約4300人になったという。

 手続きや東電側から第1原発の現状などの説明を受け、午前11時すぎ、構内に入った。

 ヘルメットに防じんマスク、専用のゴム靴を履き、バスで事故を起こした建屋へ向かう。渡された警報付き線量計を胸に着けているが、服は自前のスーツにコート。被ばくを防ぐ装備は何もない。車窓から外を眺めるが、その地点の線量値を示す張り紙ばかりに目が行く。

 「構内は建屋周辺などを除く約96%の場所で、特別な防護装備なしで作業ができるまでになりました」

 車内での東電担当者の説明に、正直ほっとした。

 緑の草木が生えていた斜面は、線量低減や汚染水対策でモルタルなどが吹き付けられ、灰色の世界に変わった。作業員の黄色いヘルメットや白いつなぎの服が鮮やかに映った。

 建屋の2号機と3号機の間の、少し開けた場所に降り立った。構内の取材場所の中で最も線量が高いエリアだ。

 宇都宮から持参した簡易線量計は、毎時10マイクロシーベルト以上を示す9・999で点滅して測定不能になっていた。東電担当者が持つ手持ちの線量計の数値を見せてもらうと、毎時150マイクロシーベルト前後で推移していた。宇都宮市の平均的な空間放射線量率の毎時0・040マイクロシーベルトと比べると、単純計算で3750倍だ。

 「ちょっと建屋に近づくだけで線量は大きく変わります」と言う東電担当者の後ろに続き、10歩だけ進んだ。測定器の値は一気に倍増し毎時316マイクロシーベルト。5分経つと、バスへ誘導された。

 それでも構内で記者が被ばくした線量は0・03ミリシーベルトで、一般的な胸部エックス線検査1回の半分ほどだった。構内の線量低下で、作業員の業務効率は上がっているという。遠ざかる原子炉建屋をバスから眺めながら、廃炉作業の進展と、この場所で線量計を着けずに済む日が来ることを願った。