終戦を迎えたあの日から、74回目の夏が巡ってきた。戦地に散った多くの若者たち。栃木市出身の野球選手・太田健一(おおたけんいち)もその一人だ。黎明(れいめい)期のプロ野球を支えた郷土の逸材だが、その名も生涯も今ではほとんど知られていない。

 俊足強肩。勝負強い打撃に定評があったとされる。4年間、プロ野球の外野手として活躍した。1940年のシーズン終了後、召集令状を受け、戦地に赴く。行き先は、史上最悪とも称される無謀な作戦が行われたビルマ戦線だった。

 「快活で爽やか。ギターを弾いたりして、あか抜けていました」。おいで元小学校長関谷啓三(せきやけいぞう)さん(87)は、生前の太田の様子を懐かしそうに振り返る。「自転車に乗る叔父の姿を、よく覚えています」

 太田は出征前、関谷さんの母親にこう誓ったという。「必ず生きて帰ってくる」。その約束を守ることは、できなかった。

 戦争さえなければ…。太田の無念さに思いをはせると、憤りがこみ上げてくる。太田ら先人たちが命を懸けて守ったものは、何だったのか。太田の目には、今のこの国の姿がどう映るのだろう。