自身の畳工場で、聖火リレー走者として55年前に着用したランニング、足袋を手にする大輪さん=那須塩原市青木

 来夏に迫る東京五輪・パラリンピックの聖火リレーの公募ランナーの募集が続く中、本番を心待ちにする先輩聖火ランナーがいる。55年前の1964年東京五輪で聖火リレー走者を務めた那須塩原市青木、畳職人の大輪勉(おおわつとむ)さん(68)。当時着用した大会ロゴ入りのランニング、足袋などを今も大切に保管する。「大変な、すごい経験ができたと改めて思う」と振り返り、今後選出される“後輩ランナー”に「とても緊張すると思うが楽しんでほしい。充実感を味わえるはず」とエールを送る。

 大輪さんは福島県白河市出身。中学1年生の時に突然、学年全員が校庭に集められ2~3キロを走らされたという。「何も知らされず、ただ一生懸命走ったら一番だった。そうしたらご褒美があった」。それが「聖火ランナー」だった。

 各学年2人ずつ、隣の中学と合わせた計12人と高校生2人が選ばれ、トーチを持った高校生を先頭に、大輪さんら中学生が日の丸の小旗を手に続いた。

 「白河市役所付近をスタートし、数キロ走ったような気がする」と記憶をたどる。鮮明に覚えているのは沿道の観衆の多さ。「白河じゅうの人が出てきたと思うほどのすごい人。たまげた」。驚きはさらに続く。家に帰ると玄関に米、もち米、大豆、野菜などがどっさりと積まれていた。「近所の人が『集落の名誉』だって」。走った後に、すごさの実感が湧いてきたという。

 仕事を休み自転車で駆け付け、「よく走ったな」と褒めてくれた父親の武治(たけじ)さんが、東京五輪閉会式の日に48歳の若さで脳出血で急逝。その後、親戚を頼って那須町に移り、中学卒業後に畳職人に弟子入りした。結婚をし、子どもにも恵まれ、25、26歳の時に那須塩原市青木に工場を構えた。聖火リレー走者を務めてから55年。めまぐるしく時が過ぎ、再び東京五輪が開催されることになった。

 「今は宇宙にも行ける。素晴らしい時代になった」と苦労もあったこの間を明るく振り返り、「令和という新しい時代にまた五輪が見られる。本当に楽しみ」と目を細める。後輩となる聖火ランナーに対しては「誰もが経験できることではないし、競走じゃない。じっくりと、当日の光景を目に焼き付けてほしい」と話した。