平和の礎の前に立つ斉藤さん(左)と星野さん

 【下野】小金井空襲で米軍機の機銃掃射を受け亡くなった列車の機関士の長男で、明海大客員教授の斉藤嘉禎(さいとうよしただ)さん(76)=さいたま市緑区=が29日、JR小金井駅西口の慰霊碑「平和の礎」を訪れ、慰霊祭実行委員長の星野平吉(ほしのへいきち)さん(69)と交流、銃撃の様子を聞いた。斉藤さんは「父の最期をたどりたい。列車に乗っていた人の話も聞きたい」と話した。

 斉藤さんの父親の理作(りさく)さんは当時34歳。斉藤さんは1歳だった。10年前に89歳で亡くなった母親の房子(ふさこ)さんから、左足を撃たれ、小山の病院に運ばれたが、翌日の29日に亡くなったと聞いている。

 斉藤さんが父親の最期をたどろうと思い立ったのは昨年。「自分の時間ができ父のことを思うようになった」という。インターネットで資料を集め、星野さんらが小金井空襲を伝える活動をしていることを知った。

 下野新聞社を通じ星野さんと連絡を取り合った斉藤さんは、父親の命日の29日に小金井駅を訪問することを決めた。慰霊碑の前に立った斉藤さんは「お父さんごめんなさい」と手を合わせた。海外勤務が長く忙しい日々を送ってきたため、父親の死に向き合う気になれなかったという。

 斉藤さんは星野さんから、列車が小金井駅に着く前に最初の銃撃があり、やっと駅に着いたところに2度目の銃撃があったことなど当時の状況を聞いた。また、列車に乗っていた簗昌子(やなまさこ)さん(85)=宇都宮市駒生町=が健在で、空襲を伝える活動をしていることを知ると「ぜひ会って生の声を聞きたい」と仲介を頼んだ。

 星野さんら実行委員会にとっても、機関士に関する情報はこれまでほとんどなく、「来年の慰霊祭には、ぜひ交流会で話をしてほしい」と今後の交流を要請していた。 

 ◇ズーム◇ 小金井空襲

 1945年7月28日正午ごろ、米軍機3機が旧国鉄小金井駅に向かう東北本線の上り列車に機銃掃射。駅に到着した後も、逃げ出した乗客や、戦没者の遺骨を出迎えるために集まっていた人々を銃撃した。31人以上が犠牲となり、70~80人ほどが負傷したとされる。