カラー化した空襲当時の宇都宮市中心部の写真。くすんだ色調が、がれきや灰に覆われた市街地の被害を際立たせる(中島みどりさん撮影、カラー化は東京大・渡邉英徳研究室)

カラー化前の白黒写真。二荒山神社の高台から大通り方面を捉えた

カラー化した空襲当時の宇都宮市中心部の写真。くすんだ色調が、がれきや灰に覆われた市街地の被害を際立たせる(中島みどりさん撮影、カラー化は東京大・渡邉英徳研究室) カラー化前の白黒写真。二荒山神社の高台から大通り方面を捉えた

 焦土と化した市街地。大谷石の蔵は屋根が抜け落ち、崩れた塀やがれきが広がる。急場をしのいだバラックらしき建物が、軒を連ねている。栃木県内最大の戦禍となった1945年7月12日の宇都宮空襲。中心部の半分以上が焼かれ、620人を超える命が失われた。

 2月10日の百頭(ももがしら)空襲(足利市)や7月28日の小金井空襲(下野市)のほか、多くの機銃掃射も含め、県内の空襲犠牲者は少なくとも785人以上に及ぶとみられる。

 終戦から75年の節目を迎える今夏、下野新聞社は宇都宮空襲の象徴的な白黒写真のカラー化に取り組んだ。体験者が減り記憶の継承が難しくなる中、現代と地続きの出来事として、太平洋戦争を読者と共に振り返りたい。そんな思いからだった。

 人工知能(AI)を使い、戦前戦後の写真に色付けをする活動に取り組む東京大大学院の渡邉英徳(わたなべひでのり)教授(45)の研究室に協力を依頼した。

 体験者として宇都宮空襲の語り部を20年来続ける大野幹夫(おおのみきお)さん(88)=宇都宮市鶴田町=はカラー化した写真について、「(私にとっては)当たり前(の景色)だ」と話す。当時13歳の少年が見た光景は、遺体が焼ける匂いと共に今も脳裏に深く刻まれているという。

 15日は「終戦の日」。かつて人々が直面した苦難に思いをはせ、市井の暮らしを奪った戦争の悲惨さ、愚かさを改めて考えたい。