死者4人、建物の損壊約1万4千棟、一時約2万人が避難するなど、栃木県に甚大な被害をもたらした2019年10月12日の台風19号被害から12日で1年。

 濁流や土石流に襲われ風景が一変した県内の被災地では、復旧工事が進み、教訓を生かして災害に強い地域へと再生を目指す。

 ただ、復旧が思うように進まず、生活再建が道半ばという地域もあり、豪雨の爪跡は残る。当時を振り返りながら、被災現場の今を伝える。

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■宇都宮・田川■

(宇都宮市千波町を流れる田川。左は19年10月12日午後8時15分、右は20年10月2日午前11時25分)

 宇都宮市中心部を流れる田川が氾濫し、県都の暮らしも商業も濁流にのまれた。市街地は重く冷たい泥に覆われ、至る所に災害ごみが積まれた。県宇都宮土木事務所によると、市中心部は約150ヘクタールが浸水、床上・床下合わせて約2400戸が甚大な被害を受けた。

 JR宇都宮駅西側、小袋町自治会副会長の松本和彦(まつもとかずひこ)さん(74)は台風が近づく中、周辺住民に避難を呼び掛けて回った。思い出したのは、1947年に本県などを襲い多数の死傷者を出したカスリーン台風だ。

 台風19号の被災状況も写真を撮るなどして自治会内で共有している。「未来の被害を防ぐため、経験した者が語り継ぐ責任がある」

 被災から1年。街は人が行き交い、日常を取り戻しつつあるように見える。だが松本さんは「商店はコロナ禍で二重に苦しんでいる」。シャッターが目立つ通りを眺め、声を落とした。

■佐野・秋山川堤防■

(佐野市赤坂町の秋山川堤防。左は19年10月13日午前8時40分、右は20年10月7日午後)

 佐野市赤坂町の秋山川堤防が決壊した昨年10月12日夜。川の水はあっという間に住宅街をのみ込み、同町内だけでも300軒余りが浸水被害にあった。

 「70年以上住んでいるが、あんな光景は想像したこともなかった」。こう振り返る赤坂町会長斎藤武男(さいとうたけお)さん(77)は「河川敷の立ち木や川底の浅さは常々気になっていた」と話す。

 水害から1年。決壊した海陸橋北側の堤防は、土のうをコンクリートブロックで覆う応急工事が終わり、台風シーズンの終了を待って本工事に入る。激甚災害の指定を受け、周辺でも急ピッチで復旧工事が進む。

 「おかげで秋山川の決壊現場周辺は安全を取り戻しつつあるが、他の河川には整備が遅れている場所もある。悲劇を繰り返さないためにも、急がなければ」

 1年間、災害に向き合い続けた地域のリーダーならではの至言だ。

■足利・稲岡町■

(足利市稲岡町の田んぼ。左は19年10月14日午後1時、右は20年10月5日午後1時)

 道路のアスファルトや用水路がずたずたに壊され、田んぼに流れ込んだ。足利市稲岡町では旗川が堤防を越えて一帯は濁流となり、下流域の同市寺岡町では避難所に向かう女性(85)が車ごと流され死亡した。

 水が引いた後、周辺の田は約1.76ヘクタールにわたって土砂に覆われた。流木や家電、総延長約260メートル分の水路U字溝まで散乱した。自治会長の岩澤初彦(いわさわはつひこ)さん(76)は「田植えができるようになるなんて想像もできなかった」と振り返る。

 迅速な復旧に向け、市わたらせ川左岸土地改良区が国庫補助事業を発注し、市や175世帯の住民が総出で撤去・修繕に当たった。

 1年がたち、黄金色の田園風景が戻った。道路や水路は整い、かさ上げされた堤防には彼岸花が咲く。岩澤さんは「まずは御の字。ただ、田んぼの土壌や作物の品質まで取り戻せたか、心配は残る」と話した。

■栃木・巴波川沿い■

(栃木市富士見町の巴波川沿いの路上。左は19年10月23日午後4時20分、右は20年10月2日午後3時45分)

 8月末時点で県内最大量の約2万3千トンもの災害ごみが出た栃木市。被災後の市街地は、市指定の仮置き場へと持ち運べないごみであふれ、至る所が「勝手仮置き場」となっていた。

 「どこまでごみが増えるのか、という状況だった」と市環境課の担当者は話す。台風直後の昨年10月13日、仮置き場を計6カ所に設けたが、1週間足らずで3カ所が満杯になるなど想像を絶する量が押し寄せた。

 市中心部の巴波(うずま)川があふれて自宅が床上浸水した富士見町、自営業新井信子(あらいのぶこ)さん(72)は「ごみが家の前を埋め尽くす状況が約1カ月続いた。地域には高齢者が多く、運搬がなかなかできなかった」と振り返る。

 市は他自治体や自衛隊の支援も受け、路上のごみ回収を昨年末までに完了した。一般家庭の災害ごみ受け入れも今月10日で終了し、一区切り。巴波川には穏やかな清流が戻っている。

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