行きつけの喫茶店で「いつもの席」に座る北村さん。「温かい目で双葉町を見守りたい」と話す=2月上旬、小山市

 「自然災害なら、とどまることができた。でも原発事故があって、それができなかった。あなたはそれをどう考えますか」

 今年1月下旬、千葉市の大学が開いた東日本大震災がテーマのリモート座談会。福島県双葉町から栃木県小山市に移り住んだ北村雅(きたむらただし)さん(65)は、学生たちにこう投げ掛けた。

 10年前の3月11日、双葉町社会福祉協議会職員だった北村さんは、勤務先のデイサービスセンターで被災した。東京電力福島第1原発が立地する同町。避難準備をしていた翌12日、原発で水素爆発が起きた。役場機能や町民と一緒に、さいたま市の「さいたまスーパーアリーナ」などに集団避難した。

 建物の外へ1歩出ると、人々が日常生活を送り、震災などまるでなかったかのように見えた。「どうして自分たちだけこんな目に」。だが数年たって、風評被害に苦しむ農家など、それぞれの立場で大変な思いをしている人がいると気付いた。「大変なのは自分たちだけじゃない」。そう思えるようになった。

 福島県いわき市の仮設住宅などで社協職員として勤務。退職後、長男が暮らしていた小山市に新居を構え、妻と移り住んだ。墓も同市に移した。

 双葉町の大部分は原則立ち入り禁止の帰還困難区域になっている。自宅は2019年12月に取り壊し、更地となった。「原発事故は全く収束していない。帰還するしないの話をする次元ではない」。自宅の解体は自然な流れだった。

 一方で「帰りたい」という思いはある。でも、帰りたい先は事故が起こる前の双葉町だ。事故はなかったことにはならない。「地震だけなら」「津波だけなら」…。普段の柔和な表情の奥には、行き場のない憤りをずっと抱えている。

 「長くもなく、短くもなく。10年が経つんだなと思う」。離れて暮らす長女は震災後に結婚。孫が3人生まれた。「吹っ切れないことがあっても、今、とても幸せですよ」。孫の写真を見て目を細める。

 避難先でつながりを持てた人、小山に来て知り合えた人…。「この10年で出会えた人もたくさんいる」と感謝する。「でも、原発事故を肯定はしません」。事故がなければ、住み慣れた家で今も暮らしていた。その思いは揺るがない。

 双葉町は20年3月、全域に出ていた避難指示が一部で解除された。だが、住民の帰還は伴わず、人が再び住めるようになるのは22年春の予定だ。

 北村さんは双葉町に「もう住まない」と決めたが、そこが大切な古里であることは変わらない。町が復興し、変化していく姿を見守り続けたいと思っている。