家族で食事の席を楽しむ斎藤あさみさん(中央)と家族=2月上旬、鹿沼市内

 家族で一緒に食事をする-。10年前までは当たり前だった「幸せ」。1度失ったからこそ、よく分かる。

 斎藤(さいとう)あさみさん(46)は2月上旬、夫みきさん(57)、長女美海香(みうか)さん(16)と鹿沼市内の飲食店を訪れた。店主の計らいで、誕生日を迎えたあさみさんの前にケーキが運ばれてくる。笑みがこぼれた。

 東京電力福島第1原発事故から3カ月がたった2011年6月、福島県郡山市に住んでいたあさみさんと美海香さんは、宇都宮市内に自主避難した。仕事の拠点が福島のみきさんは、地元に残った。

 避難はやむにやまれぬ決断だった。それでも、家族や仕事の事情で、避難したくてもできない人をたくさん知っている。「自分たちだけ逃げた」との「負い目」が、いまだに残る。

 事故直後の4月。美海香さんは郡山の小学校に入学した。「登校する時は、長袖、長ズボン、マスクを着用」「外遊びは禁止」。学校から求められた。

 日頃、母でさえ「ちょっとは反抗してもいいのに」と思う娘。素直に守った。

 世間の話題は放射能一色。街のあちこちに放射線線量計が設置された。「娘はただ事ではない様子を察していたと思う」。日に日に笑顔が消えた美海香さん。外にも出たがらなくなった。

 いつものスーパーに出掛けた時のことだった。「危ないから、早く店に入らないと」。駐車場から店まではたった数メートル。美海香さんは息を止め、あさみさんの手を強く引っ張り走った。

 「このままでは、娘の心が壊れてしまう」。迷いが吹っ切れた。

 宇都宮市内に避難後すぐ、美海香さんに笑顔が戻った。子どもが外で元気に遊ぶ、当たり前だった光景が目の前に広がっている。あさみさんの目に涙があふれた。

 あさみさんにも「居場所」ができた。県内に避難した母親が集う「栃木避難者母の会」に出会った。「(強制避難ではなく)自分の意志で避難したから弱音は吐けない」と口にできなかった辛さや不安を共有し、心のつかえが少しとれた。音楽活動を通して新しい仲間もできた。

 4年前、郡山の家を残しつつ、宇都宮に家を購入した。みきさんも宇都宮から仕事に行くようになった。

 家族がともに暮らせる日常を取り戻しつつあっても、癒えない傷もある。「楽しそうな姿を福島に見せないで」。福島の知人から浴びせられた鮮烈な言葉が、記憶に残っている。

 それでも10年、生活再建に向け、走り続けてきた。「どんな決断も、間違いじゃない」と言いたい。

 「もう、笑顔を見せてもいいかな」