東日本大震災から3月11日で10年を迎える。10年前のあのとき、私たちはどんな体験をし、何を感じたのか―。当時の下野新聞を読み返した。

 巨大な地震、津波…。甚大な被害に打ちひしがれる中に「原発が爆発した」との一報が駆け巡ったのは、地震発生から丸1日が経過した2011年3月12日午後のことだった。

2011年3月13日付の下野新聞

 目に見えない放射性物質の恐怖が日本中を襲った。連日、下野新聞には「福島原発 建屋爆発」(13日付)、「原発20キロ圏 避難本格化」(14日付)、「核燃料、一時全露出」(15日付)などとショッキングな見出しが並んだ。

福島方面から避難のため、南進する車などで渋滞する那須塩原市の国道4号=2011年3月15日午後2時50分

 栃木県内では荷物を大量に積んで南下する福島、宮城ナンバーの車があふれた。「着の身着のまま逃げてきた」。福島県双葉町から避難中の男性は休憩を終え、足早に車に乗り込んだ。県内に身を寄せる人も多くいた。

避難所の鹿沼総合体育館に入る飯舘村の住民=2011年3月19日午後7時18分

 鹿沼市は福島県飯舘村から村民約500人を受け入れた。ふるさとにいつ戻れるのかも分からない中での集団避難。鹿沼で100歳の誕生日を迎えることになった男性はこう言った。「いつか村に戻れたら、みんなと一緒に祝いたい」

⇒東日本大震災10年特集