東日本大震災でのボランティア活動を振り返る片岡さん。現在はシトラスリボン運動に力を入れている=5日午前、高根沢町

 誰かの大切な人が生きた証しを、被災地の砂浜や側溝で懸命に探し続けた。

◇東日本大震災10年特集

 2014年1月、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区。東日本大震災による行方不明者の捜索活動が行われた。高根沢町、飲食店経営片岡千晴(かたおかちはる)さん(62)は泥だらけになりながら、シャベルで土砂を取り除いた。

 茶わんの破片や靴、結婚式の写真…。「持ち主は無事だっただろうか」。経営する店が休みの水曜日に約1年半通い、思い出の品は分かる範囲で持ち主に返した。名取市内では954人が犠牲となり、今も38人の行方が分かっていない。

 新潟県燕市の出身。1964年の新潟地震や2004年の新潟中越地震などの災害で「全国の皆さんに助けてもらった感謝」が心にある。「何かの形で社会に恩返ししたい」。そう考えたのは自然だった。

 行方不明者の捜索活動だけではない。震災直後から岩手県陸前高田市などの仮設住宅を巡り、支援物資を届けて回った。宮城県気仙沼市では「自転車が200台欲しい」と頼まれた。

 交流があった宇都宮市内の高校のPTA関係者に協力を求めると、善意の輪はすぐに広がった。最終的に県立高4校の卒業生らから、通学用の役目を終えた約400台が集まった。

 ボランティア活動は「できる人が、できることを、できる時に」がモットー。会員制交流サイト(SNS)のネットワークは頼もしく、災害が起きればすぐに「手伝いに行こうか?」とメッセージが飛び交う。

 長年被災地に足を運び、交流を重ねてきた。しかしその支援の在り方を、コロナ禍が大きく変えた。「行きたくても、行けない」

 感染者への差別や偏見は、東京電力福島第1原発事故の風評被害に苦しみ続けた福島県民の姿と「重なって見えた」。胸が痛んだ。

 今力を注ぐのは、感染者らへの誹謗(ひぼう)中傷の防止を訴える「シトラスリボン運動」。県内では片岡さんらが中心となって、医療機関や学校などに黄緑色のリボンを届けている。「困っている人がいれば、何か力になりたくて」とほほえむ。

 あの日から10年を迎えようとしているが、「ご遺族や避難者にとって10年の区切りはない。昨日の続きが今日で、今日の続きが明日なだけ」と説く。そして「東日本大震災後の今は、いつ来るか分からない震災前。防災や減災の教訓を未来に残すことが、大切な人を守ることにつながる」。そう強く感じている。