森山真弓さん

 女性初の官房長官を務めた元衆院議員で自民党栃木県連最高顧問の森山真弓(もりやままゆみ)氏が14日午後、老衰のため東京都内で死去した。93歳。葬儀・告別式は16日に近親者のみで行った。喪主は長女篠原真澄(しのはらますみ)さんと次女白山真理(しらやままり)さん。お別れの会を後日開くが、詳細は未定。

 森山氏は1927年、東京都生まれ。東京大法学部を卒業後、旧労働省入省。婦人少年局長などを務め、男女雇用機会均等法の整備に尽力した。女性キャリア官僚の草分け的存在。80年に参院栃木選挙区から出馬しトップ当選を果たした。参院3期、衆院4期を務めた。

 89年に海部内閣の環境庁長官として初入閣。半月後、女性スキャンダルで辞任した官房長官の後任に横滑りした。女性就任は現在まで他に例がない。在任中、大相撲の優勝力士に贈る内閣総理大臣杯を「土俵上で渡したい」と要望。日本相撲協会が女人禁制の伝統を理由に拒否し、女性差別として議論になった。

 宮沢内閣の文相として93年春の選抜高校野球大会で、春夏通じ女性で初めて始球式のマウンドに上がった。小泉内閣の法相なども務めた。2001年から8年間、自民県連会長。09年8月、衆院議員を引退した。

 96年に衆院議員へのくら替えの際は、当時県議だった西川公也(にしかわこうや)元農相と栃木2区の公認を巡り激しい争いを繰り広げた。最終的に森山氏が比例転出という異例の決着をたどった。

 栃木県サッカー協会長、白鴎大学長なども歴任した。夫は大学時代に結婚した故欽司(きんじ)元運輸相で、おしどり議員としても有名だった。

 森山氏が理事長を務めた日本カメラ財団によると、晩年は都内で家族と過ごし、趣味の写真撮影などを楽しんでいた。昨年8月に軽い脳梗塞で1カ月入院。今年9月中旬ごろから体調を崩すようになり、家族に囲まれて眠るように亡くなったという。