さんぽセルを開発した児童たち

 日光市の児童が大学生などの力を借りて商品開発した商品「さんぽセル」。ランドセルにタイヤと持ち手を付けることで、キャリーケースのように持ち運べるのが特徴だ。重いランドセルによる健康被害の軽減が狙いで、児童は「褒めてもらえる」と期待に胸を膨らませていた。

予想外の“事件”発生

 今年4月に発売されると、想像以上の売れ行きとなった。約3千台(事前予約含む)の注文があり、現時点で4カ月待ちの人気ぶりとなった。

さんぽセルの主体となる2本のスティック

 ところが、すぐに異常事態が発生した。発売のニュースが流れると、ネットのニュースサイトに千件を超える批判コメントが書き込まれたのだ。

 「重たいだろうけど、楽したら筋力低下していかん!体も心も鍛えないと」「何でランドセルを背負うのかって両手を開けて危険がないようにするためでしょう。意味無いどころか危険。本質を見失っている」「考えた子たち、ばかそう」

 開発に関わった大学生、岡村連太郎さん(21)は「子どもたちも僕たちもめちゃくちゃ頑張ったし、すごく褒められると思っていたので、とてもショックでした。1週間くらいは落ち込んだんじゃないでしょうか」と振り返る。

さんぽセルを開発した児童たち

 「この批判を子どもたちに知らせる訳にはいかない」。メンバーで相談し、児童には見せないように決めた。だが、隠し通せなかった。

 「さんぽセル」を考案した双子の小学5年、ゆうや君とれいや君(10)は「検索したら批判が出てきた。怒りがあった。悲しかった。一生懸命頑張って、すごく良い商品を作ったのに」と悔しさをにじませた。

諦めない

 しかし、児童は諦めなかった。「商品の良さを大人に認めてもらいたい」との思いが強くなったという。

 岡村さんも「自分たちの問題を自分たちで考えて作ったという意義深い商品。批判に負けて終わっていい訳がない。小学生たちはこれからの日本を背負っていく。そんな小学生たちの発明を無駄にしたくない」と意を決した。

完成したさんぽセルを手に持つ小学生たち

 ではどうするのか。「ただ反論するだけではなく、なぜ必要なのかを、小学生が自分の言葉で説明しなければだめだ」と岡村さんらは考えた。

 大学生たちが児童の意見を選び、文章にした。そして5月末、販売を担う企画会社「悟空の気持ち THE LABO」(大阪市)が、ニュースリリースの形で世間に公表した。

反論の内容

 「体のバランスが悪くなり、背骨のゆがみが出て体調が悪くなるのでは」との批判に対し、「それは重いランドセルでなる『ランドセル症候群』って言われている病気です。僕たちは、それを解決しようとしているんです。心配する方向が逆です」と反論した。

 「ランドセルは後ろに転んだ時に頭を打たないためにある」に対しては、「そもそもランドセルが重いから後ろに転ぶじゃん。おとなも灯油缶を満タンで背負ってみてよ。ぜったいに転ぶよ」と訴えた。

みんなに配りたい

さんぽセルを背負う児童

 「友だちにも使ってもらうため、配りたい」。そんな児童の提案を受け、5月末、費用捻出のためのクラウドファンディングを始めた。

 わずか2週間で、3500台分の金額が集まった。予想以上だった。

 岡村さんは児童に「ほかにに渡したい人いる?」と聞いてみた。すると、「えらい人に配りたい」とゆうや君が答えた。えらい人が誰なのかを尋ねると、総理大臣や市長、校長先生などを挙げた。

 その理由として、「えらい人にあげれば広く配れて、えらい人に言えばランドセルを軽くしてくれるかもしれないと思った」と説明する。

さんぽセル

 企画会社は6月13日、ホームページに「校長先生・市長・文部科学大臣・内閣総理大臣 応募フォーム」を設置した。6月末時点で、全国の校長4人、栃木県内の市長ひとりが応募している。

思わぬ反応が

 翌14日、思わぬ反応があった。「驚きました。素晴らしい取り組みだ」。発言の主は、末松信介文部科学大臣。閣議後の記者会見の席だった。

 「小学生自ら、重いランドセルを何とかしたいと考えて発案した製品。子どもたち自身が課題を発見して、試行錯誤して、大人たちの協力を得て、こうした一つの解決策を生み出すということは、素晴らしい取り組みだ。文科省の人間は皆そう思っています」

さんぽセルを発案した双子

 その日の夜、双子の2人はその映像を見た。「ほめられてうれしかった。しかも偉い人に」と興奮した。批判に心を痛めていただけに、喜びはひとしおだった。

 どうしてランドセルは重いままだったのだろう。どうして大人は改善してくれなかったのだろう。子どもたちの疑問は消えない。だが、悲観もしてはいない。

 「ランドセルには日本(の未来)がつまっているんだもんね」。子どもたちは、自分たちの行動が課題解決に向けた第一歩となったと信じている。(終わり)