渡辺崋山が描いた町図(常葉美術館提供)

観音堂から見た市内の風景

渡辺崋山が描いた町図(常葉美術館提供) 観音堂から見た市内の風景

 【足利】江戸時代後期に活躍した画家渡辺崋山(わたなべかざん)のスケッチのうち、群馬県の大間々の町図とされていた作品が、足利を描いたものの可能性が高いことが17日までに分かった。スケッチは崋山が群馬県桐生市などを訪れた際に描いた風景などをまとめた「毛武游記図巻(もうぶゆうきずかん)」の中の一つ。作品の構図と足利市通7丁目の観音堂から見下ろした風景がほぼ一致することを、崋山について研究する市民団体の代表らが確認した。

 崋山は1831年に妹の嫁ぎ先の群馬県桐生市を訪問。足利市なども訪れて「毛武游記」という旅日記を書いた。「毛武游記図巻」は、崋山が旅の途中で描いたスケッチをまとめた。

 「大間々の町図」とされていた絵を描いた場所が発覚したきっかけは、群馬県桐生市の「渡辺崋山と歩く会」が2013年10月に書籍「『毛武游記』に沿って崋山と歩く桐生と周辺の旅」を発行したことだった。

 同会代表の岡田幸夫(おかだゆきお)さん(70)によると、刊行記念イベントを開いた際、来場者の一人が「大間々ではなく足利の町図だ」と指摘したという。岡田さんが親交のあった史跡足利学校事務所長の大沢伸啓(おおさわのぶひろ)さん(58)と言われた場所を確認すると、絵の構図とうり二つだった。

 岡田さんは「測量技師のような正確さで、心を打たれた」と振り返る。

 大沢さんは愛知県田原市の公益財団法人「崋山会」から依頼を受け、同会が18年6月に発行した「崋山会報」の第40号で足利の町図に関して寄稿した。「描かれている山の様子から足利ではないかと思っていたが、今回の調査で確証を得ることができた」と話した。