宇都宮市内では小幡・清住土地区画整理事業の工事が本格化しています。建物が次々と取り壊される中、「通り沿いの神社はどうなるのか」という声が寄せられ、訪ねてきました。
大通りから本郷町通りを清住町通り方面へと北に進むと、建物が取り壊され更地になった光景が広がる。重機が動き、まさに解体作業中の家もある。
火元争いが起源
目指す神社は大通りから150メートルほどの左手。「火防の神」の三峯(みつみね)神社だ。文化財の指定などはなく小さな神社だが、その由来から、歴史愛好家にはおなじみの神社だという。
神社や郷土史に関する本などによると、創建は江戸時代の天保3(1832)年。この年の2月、泉(いずみ)屋と久喜(くき)屋の間で発火し、宇都宮の町屋がほとんどが燃える大火があった。どちらが火元か争いとなったため、福田小兵衛(ふくだこへえ)が仲裁して、埼玉県秩父市にある三峯山神社に自ら参詣して分霊を勧請し、泉屋と久喜屋の間にまつった-というものだ。ちなみに福田小兵衛は、ホテル丸治(泉町)を経営する福田家の先祖になる。
現在、神社は地元の本郷睦会自治会が管理する。社殿は1900(明治33)年の再建で、修繕したり、交代で扉を開閉し、毎月2回、旗を立てたりするなどして守ってきた。会長の池田昌可(いけだまさよし)さん(69)は「宇都宮空襲(1945年)でもこの辺りは燃えなかった」。戊辰戦争の際も宇都宮は燃えたが、神社は無事だったという。
約190年の歴史が刻まれた神社だが、2月20、21日に取り壊された。「あっという間でした。大事にしてきたから寂しさもありましたね」と池田さん。自治会では今後、ほぼ同じ場所に再建する方針とのこと。ただ、敷地の形なども変わるほか、自治会が所有する人形山車の収蔵庫を設ける考えがあり、神社の姿は変わる見込みだ。
「今回の区画整理で住む人も変わると思います。これからの人たちも管理しやすいように、予算も限られた中でどういう形がいいのか、練っていきたい」。再建後にお参りするのが待ち遠しい。
道幅を1メートル拡張
1966年度の都市計画決定から時を経て動き出した小幡・清住土地区画整理事業。特徴は「集団移転方式を採用していることです」。市西部・北部区画整理事業課課長の高橋克也(たかはしかつや)さん(55)はこう説明する。
区画整理対象の約17ヘクタールを29ブロックに分け、順次、ブロックごとに一斉に取り壊し、整地工事などを行う。対象地域の中でも「都心環状線」に当たる道路の整備が先行され、裁判所の北東や「亀の甲坂」周辺などで作業が進む。
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どのような街が誕生するのだろうか。都心環状線の開通は2025年度ごろ、区画整理事業の施工期間は27年度までの予定。本郷町通り(清住町通り)も幅が1メートルほど広がるという。車の通行量が多く歩きにくいが、そんな環境も変わりそうだ。