下野新聞の歴史

下野新聞の前身となる「杤木新聞」は、1878(明治11)年6月1日、現在の栃木市で創刊されました。「杤木新聞」の編集人であった中田良夫、足尾鉱毒事件で奮闘することになる田中正造(1841-1913年)らが翌年、自由民権運動を盛り上げようと、第2次「栃木新聞」を再興(再刊)しました。田中正造は「栃木新聞」の編集長を務めました。
1882年には第2次「栃木新聞」と「足利新報」が合併し、第3次「杤木新聞」が誕生。この「杤木新聞」が1884年3月7日、県庁とともに栃木から宇都宮に移り、宇都宮の「下野旭新聞」を合併、題字を「下野新聞」と改めました。こうした歴史を経て、今日まで下野新聞が続いており、2008年で創刊130周年を迎えました。全国の地方紙の中でも古い歴史を持つ新聞の一つです。



下野新聞の歴史
明治11年6月1日 | 下野新聞の前身、第1次「杤木新聞」が栃木で創刊 |
12・8・2 | 第2次「栃木新聞」が栃木で創刊 |
14・6・8 | 「下野旭新聞」創刊 |
15・1・30 | 「足利新報」創刊 |
15・9・8 | 第3次「杤木新聞」が栃木で創刊 |
17・3・7 | 「下野新聞」創刊。隔日刊、タブロイド4ページ、発行所、下野国河内郡宇都宮町池上町45番地、旭香社 |
22・4・1 | 日刊で現在とほぼ同じ大きさの新聞4ページになる |
26・11・22 | 星亨衆議院議長を批判したため1週間の発行停止を受ける |
27・1・1 | 宇都宮町池上町51番地に洋風2階建て社屋を建設、移転。 |
27・8 | 日清戦争に特派員を派遣 |
35・9・1 | 下野新聞株式会社に組織変更。資本金4万円 |
38・10・5 | 日露戦争講和条約に反対し4日間の発行停止を受ける |
40・11・10 | 輪転機導入 |
42・4・10 | 足利町で「両野新報」発行 |
大正9年8月15日 | 日光―宇都宮マラソン大会開催。県陸上競技会に大反響を呼ぶ |
11・5・28 | 鉄筋コンクリート3階建ての新社屋完成。北関東で初の本格建築として県民の注目を集める |
12・9・1 | 関東大震災で東京各紙発行不能のため、7日まで下野新聞を東京に送る |
13・7・1 | 夕刊を発行 |
昭和5年7月12日 | 紙齢1万5,000号を迎える |
6・4・1 | 第1回「下野美術展」を主催。部門は日本画と洋画 |
8・3・17 | 創刊50周年を記念し「半世紀の下野」を長期連載 |
16・10・31 | 東京日日新聞と友好関係を成立。紙面を全面的に改革、業務関係を刷新 |
16・12・15 | 1県1紙の国策によって栃木県の代表紙となり、4社を合併 |
20・4・1 | 新聞非常措置令により、毎日、朝日、読売の持分21万部を全県下に供給 |
20・7・12 | 戦災により発行不能となる。毎日新聞に委託、発行を続ける |
20・10・15 | 自力で発行を再開 |
33・3・23 | 紙齢2万5,000号記念式典。記念事業として下野奨学会、県農業コンクールを新設 |
42・2・8 | 資本金4,800万円に増資、現在に至る |
45・4・1 | 栃木県政経懇話会を設立 |
47・4・22 | 紙齢3万号記念式典。記念事業として下野県民賞を制定 |
49・5・1 | 宇都宮市昭和1-8-11に新工場が完成。輪転機4台を新設 |
51・5・24 | 輪転機2台を増設、24ページの印刷体制が整う |
52・11・15 | 鉛活字を使わぬコールドタイプへ、新聞製作の近代化完成 |
52・12 | 発行部数20万部 |
54・5・7 | 宇都宮市昭和1-8-11に新社屋完成。鉄筋5階建て6,393平方メートル |
54・7・11 | オフセット輪転機によるカラー印刷開始 |
59・3・7 | 創刊100周年を迎える |
61・1・4 | 紙齢3万5,000号を数える |
61・5・22 | 下野新聞文化福祉事業団を設立 |
62・3・14 | 下野文学大賞を創設 |
63・4 | 発行部数25万部突破 |
平成3年7月 | 宇都宮市内の電光板に下野新聞提供ニュースを流す |
3・9・23 | 中国浙江日報社と友好関係樹立 |
3・12 | 新輪転機3セット完成 |
4・2・13 | 全紙面文字拡大(1行12字) |
5・8・31 | (株)下野新聞アドセンター設立 |
8・3 | 輪転機フルカラー8個面増設工事完成 |
8・5・5 | 「ASTRO(アストロ)」を創刊 |
8・7 | 新画像システム稼働 |
9・7 | 本社新館完成 |
9・11・16 | 「おーぽっく」を創刊 |
10・4 | 発行部数30万部を突破 |
11・4・1 | とちぎテレビへ本社スタジオからニュース中継開始 |
11・5・11 | 創刊115周年、発行部数30万部突破「感謝の集い」 |
11・5・12 | 下野新聞編集綱領を制定 |
11・6 | コンピューターによる新聞組版システムに移行開始 |
11・10・15-16 | 第52回日本新聞大会を招致、開催 |
12・5 | 紙齢4万号記念式典 |
12・11 | 全編集紙面がコンピューター組版システムに移行完了 |
13・1・1 | データベースへの記事、写真データの蓄積開始 |
13・3・7 | 文字拡大で「しもつけ新L字」採用 |
13・4・1 | 「下野新聞」の題字を変更 |
下野新聞ホームページをリニューアル、愛称は「SOON」 | |
15・4・4 | しもつけ21フォーラム設立 |
15・10・1 | 「ASTRO(アストロ)」「おーぽっく」を統合、生活情報紙「Aspo(アスポ)」を創刊 |
16・1・1 | 「下野新聞」の題字を変更、カラーとなる |
16・3・7 | 下野ふるさと大賞創設 |
16・6・1 | 創刊120周年記念式典開催 |
18・4・10 | 下野新聞印刷センター創業 |
18・6・1 | 創刊日を明治17年3月7日から前身の杤木新聞が創刊された同11年6月1日に変更。創刊128年、紙齢43,019号となる。 |
19・6・1 | 「どっとこちゃん」が下野新聞社のキャラクターに就任 |
19・9・10 | ホームページ「SOON」で電子号外を初めて発行 |
20・3・31 | 新組版システム全面稼働 |
20・4・1 | 文字拡大で「下野O(オー)文字」(1行10字)採用 |
20・6・1 | 創刊130周年を記念し、新たな社旗やシンボルマークを制作し、「企業理念」「スローガン」「行動指針」「編集方針」も制定 |
有料携帯サイト「SOON」スタート | |
20・6・3 | 創刊130周年記念式典開催 |
22・10・1 | 紙面のQRコードから詳細情報を閲覧できる「+S」(プラス・エス)を開始 |
23・12・29 | 紙齢4万5,000号を迎える |
24・4・1 | 宇都宮まちなか支局を宇都宮市のオリオン通りに開設、宇都宮市中心市街地版「みや もっと」を創設 |
24・5・15 | 長期連載「あなたの隣に 発達障害と向き合う」が「科学ジャーナリスト賞2012」の大賞を受賞 |
24・6・1 | 「下野新聞NEWS CAFE」を宇都宮市のオリオン通りに開設 |
24・10・23 | 長期連載「終章を生きる 2025年超高齢化社会」が第1回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞 |
25・6・1 | 創刊135周年を迎える |
25・6・4 | 創刊135周年記念講演・感謝の集いを開催 |
25・9・4 | 「下野新聞NEWS CAFE」が2013年度日本新聞協会賞(経営・業務部門)を受賞 |
26・3・1 | 紙面を従来の15段組みから、12段組みへ紙面刷新。文字も拡大 |
26・10・9 | 長期連載「希望って何ですか 貧困の中の子ども」が石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞の「草の根民主主義部門」大賞を受賞 |
26・10・20 | 「宇都宮餃子消費量日本一奪還プロジェクト」で日本新聞協会新聞広告賞(新聞企画部門)を受賞 |
27・12 | 長期連載「とちぎ戦後70年」が平和・協同ジャーナリスト基金賞の奨励賞を受賞 |
29・6・1 | 「下野新聞電子版」創刊 |
30・6・1 | 創刊140周年を迎える |
「下野新聞SOON」リニューアル |