
プロローグ
薄れゆく記憶 託したい教訓
目当ての碑は畑の端にひっそりとたたずんでいた。
2024年12月。冬晴れの下、茨城県境に程近い野木町佐川野へ足を運んだ。
「倉井(くらい)少尉殉死之碑」。石碑には、1945(昭和20)年2月に米軍爆撃機B29へ日本軍機でぶつかり、命を落とした軍人の名が刻まれていた。
上空を戦闘機が飛び交い、命を奪い合う。80年前のあの頃、そんな光景が確かに広がっていた。

かつて宇都宮には陸軍第14師団が置かれた。「軍都」と呼ばれ、栄えた。満州事変(1931年)、真珠湾攻撃(1941年)。初等教育の場だった小学校は「皇国民鍛錬」の場に姿を変え、宇都宮陸軍飛行学校もできた。子どもたちさえ「軍国主義」に染まった。
敗戦の色が濃くなるにつれ、各地が戦火に見舞われた。足利の百頭(ももがしら)空襲、下野の小金井空襲。宇都宮空襲では620人以上が犠牲になった。そして迎えた45年8月の終戦。戦後はゼロからの出発と言えた。
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