移ろう学び舎 国民学校と教育 ②校務日誌(中)

教育から「鍛錬の場」に

 詔書奉読式挙行

 喜連川国民学校(当時)の校務日誌にある1942年1月8日の記述だ。

 

 41年12月の太平洋戦争開戦により、国全体で士気高揚を図る動きが活発化。日誌にあるこの日、児童らは全員で昭和天皇の詔書を奉読した。このわずか7文字の記載に、軍国主義教育の一端が垣間見える。

 

 同年4月、国民学校令が施行。全国の尋常小学校と高等小学校は国民学校に改められ、学校は教育の場から「皇国民の鍛錬の場」に変わった。

 

高久さん方に現存する奉安殿。軍国主義教育の象徴は敷地の一画で息を潜めるようにたたずむ=4月26日午後、栃木市千塚町
高久さん方に現存する奉安殿。軍国主義教育の象徴は敷地の一画で息を潜めるようにたたずむ=4月26日午後、栃木市千塚町