今日をもって現役を…

 「今日をもって私は現役を…」。そこから先の言葉がなかなか出てこなかった。逆にスタンドからは「言わないで!」と悲鳴のような声が響いた。「引退します」。数秒の後、村田はこう言葉を継いだ。報道陣がいる場所から村田がいるピッチャーマウンドまで約20m以上離れていたが、村田が目頭を熱くしているのは容易に分かった。

 

  最終戦終了後のセレモニーで村田は正式に現役引退を表明した。ファンたちの「まだできる」という叫びの中、約10分間、16年間の野球人生を振り返るスピーチは続いた。巨人を戦力外になり、現役続行への道を選び、たどり着いた独立リーグ。過酷な環境の中、NPBを目指す若手とともに野球ができたことを心から喜んでいるようだった。

 そして自身の野球人生を振り返った。小学校3年生から野球を始めたこと。どんな時も車を出し、ビデオを撮ってくれた両親、さらに妻絵美さんの両親への感謝の言葉。そして家族。長男閏哉君から勇気をもらい、野球を続けてこれたこと、二男凰晟君、三男瑛悟君への感謝の言葉を続けた。

 スタンドではファンが目を赤くしながら、村田のスピーチに集中していた。

「村田修一としての現役生活は今日で終わりますが、人生はまだまだ終わりません。息子たちとともにまだまだ勉強していくことがたくさんあると思っています」。

 

 セレモニーでは村田の恩師、大矢氏もあいさつに立った。

「村田、お疲れ様です。日本人のホームラン打者を出したいという僕の夢をかなえてくれた。全日本の4番にもなってくれた。この1年、栃木で世話になって、今まで君が勉強できなかったことが勉強できたんじゃないか。今後の人生にすごく役に立つ1年だったと思います。人生はまだ半分もいってない。これからの男・村田の人生に注目してきたい」

 大矢氏の言うとおり、村田の人生はまだ半分もいっていない。人生第二幕は始まったばかりだ。

 

 

プロフィール 村田修一(むらた・しゅういち) 1980年12月28日、福岡県生まれ。東福岡高校3年の時、投手として甲子園に春夏連続出場。日本大で内野手に転向し、2002年、ドラフト自由獲得枠で横浜(現DeNA)に入団。07、08年に本塁打王。08年の北京五輪と09年の第2回WBC日本代表になる。11年、巨人に移籍。17年、巨人を自由契約となり、今季から栃木GBに所属。18年9月、現役を引退。

(SPRIDE2018年11月号に掲載)

 

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