
記憶の行方 語り継ぎの今 ②ピースうつのみや(中)
反戦への思い会員連帯
「田川はもう人でいっぱいだったよ。水が真っ赤に光ってさ」
1945年7月12日の宇都宮空襲被害の様子を描いた紙芝居「火の海になったうつのみや」の一場面。迫り来る火の手から逃れようと、傷ついた大勢の市民が宇都宮市中心部を流れる河川に次々身を投げる様子が浮かび上がる。
今夏で40年にわたる活動を停止する市民団体「ピースうつのみや」は今年7月12日、最後となる空襲犠牲者追悼集会をJR宇都宮駅西口前の広場で開いた。

紙芝居は、空襲直後の市街地の様子を目の当たりにした会員らが1998年に作製した。以来、体験者たちの声を伝え続けてきた。
◇ ◇
犠牲者を追悼し、何とか次世代に語り継ぎたい。その一心で、活動の幅は次第に広がっていった。
田川に鎮魂の火をともそうと、2002年からは灯籠流しを行うようになった。会員が高齢化し21年に中止してからは、市民有志や地元大学生が協力して実施し、23年まで続けられた。

その間に「空襲の真実を伝えたい」と体験者も語り始めた。
10歳で宇都宮空襲に遭った同市塙田3丁目、高島秀子(たかしまひでこ)さん(90)もその一人。20年以上前に入会し、空襲展などで体験を伝えてきた。
燃える家々、妹を背負って逃げた夜道、全焼してやかん一つしか残らなかった自宅跡。「戦争は絶対駄目。平和じゃなくちゃ」と語り継いだ。
戦前、市内に進駐していた陸軍第14師団や陸軍飛行場の遺跡、大谷地区にある中島飛行機の地下工場跡…。戦後の発展に埋もれ、顧みられることのなかった軍都の面影を巡るバスツアーも1987年に始めた。

名付けて「ピースバス」。市内に残る戦跡を独自調査していた郷土史家や戦時中に飛行場関連施設で働いていた元女子挺身(ていしん)隊員らが案内役を務め、参加者に歴史的背景も含めて丁寧に伝えた。
「戦争はもう嫌だ」という思いが職種や立場を超えて会員たちをつなぎ、戦争の記憶を伝える「平和祈念館」設立という共通の夢が膨らんだ。
◇ ◇
会員数は発足から10年足らずで約300人に膨れ上がった。その一方で大半は戦争を知る、または戦後間もなく生まれた世代。会員たちが熱を入れて目の前の活動に携わるうちに、時が過ぎていった。
いつしか会員たちは年を重ね、病気などで外に出ることもままならない。かつて団体に若い力を供給した労働組合も弱体化。2015年ごろから人手不足に悩まされるようになった。
創立メンバーも一人また一人と鬼籍に入り、現在も活動に携わるのは現代表の田中一紀(たなかかずのり)さん(83)さんただ一人。田中さんは「世代の広がりを認識し、努力することが不足していたかもしれない」と振り返った。
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