記憶の行方 語り継ぎの今 ⑤ヒロシマ(上)

惨禍への温度差が原点

 

 「父さんとの別れは、こんなにも悲しくて辛いものなのか」

 

 下野市在住、通訳業大島敦子(おおしまあつこ)さん(49)のノートに記された一節。1945年8月6日、広島市内に人類史上初めて投下された原子爆弾の被爆者の言葉だ。

 

 広島県尾道市出身の大島さんは2023年から、被爆者の体験を聞き取り次世代へ伝える広島市の「被爆体験伝承者養成事業」に取り組んでいる。

 

被爆者の廣中さんから聞き取った当時の記憶を記したノートや講話原稿=6月上旬、広島市内
被爆者の廣中さんから聞き取った当時の記憶を記したノートや講話原稿=6月上旬、広島市内

 

 研修期間の約2年間、自費で同県へ足を運んだ。原爆で父親を失い、自身も爆心地から3・5キロの距離で被爆した廣中正樹(ひろなかまさき)さん(85)の過去と向き合う。

 

 なぜ、この事業に手を挙げたのか。「明確なきっかけはない」。ただ、原点はある。10代の頃の記憶だ。