遺構は語る

戦後80年。戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦禍の記憶は薄れつつあるが、人知れず立つ碑やひっそりと残る跡が、あの大戦を後世につないでいる。県内各地の痕跡を随時紹介する。
 
戦時中、船製造などの資材として50本のスギが切り出された林。当時の切り株が今も残る
=10日午後、塩谷町船生、永嶌理絵撮影

 

樹齢100年超の大木供出

身近な山も“お国のため”

 

 塩谷町船生小のほど近くに広がるスギ林。空に向かって真っすぐ伸びる若木の間に、いくつもの古い切り株が点在している。かつてこの地にそびえ立っていた大木の痕跡。太平洋戦争末期、樹齢100年を超える約50本のスギが伐採され、船などの資材として供出された。