手を合わせ 日々の無事願う

県内お地蔵さま探訪

巨大な石造りの地蔵菩薩座像。穏やかで優しい表情

古くから人々の信仰を集めてきた各地のお地蔵さま。道端や寺院の一角にたたずむ姿は見慣れた光景ですが、最近は新型コロナウイルス禍での癒やしを求め、地蔵巡りがSNSでも人気に。お参りする人を包み込むような、その優しい顔立ち。今週末はふっと力を抜いて、気になるお地蔵さまを訪ねてみませんか。

ふるさとを望み見守る

今市追分地蔵尊(日光)

 

日光街道と例幣使街道の追分に安置されている今市追分地蔵尊。祭られている地蔵は高さ約2㍍、重さ約8㌧で、石造りの地蔵としては東日本有数の大きさを誇ります。1965(昭和40)年に旧今市市の有形文化財に指定されました。

制作年代は室町時代とされていますがはっきりとは分かっていません。8代将軍徳川吉宗の日光社参時には祭られていたと記録があります。伝説では、江戸時代に発生した大谷川の洪水で約70体の地蔵が並ぶ日光の景勝地・憾満ケ淵(かんまんがふち)から今市まで流されてきたところを、石工たちが引き上げたといわれています。

日光街道と例幣使街道の分岐点に

一時、近くの如来寺に安置されましたが、夜になると泣いたり町に火災が頻発したりしたため、ふるさとの日光方面を望める現在の場所に安置したといいます。現在も健康、開運などを求めて、多くの人が祈願に訪れています。

日光市今市117、☎0288・22・4804

 

73軒… 一晩ごとにお迎えして

中河原の廻り地蔵 (小山)

地蔵の前に灯明、線香、ご飯などを供えて祭る

結城紬の産地として知られる小山市絹地区中河原。73軒の家々が、決められた順番で自宅に地蔵を一晩祭り、翌朝背負って次の家へ回す「廻(まわ)り地蔵」の風習が受け継がれています。

厨子の重さは約25㌔あり、かなり重い

風習には二つの由来があり、一つは江戸時代の享保年間(1716~36年)に制作者が担いで全国を行脚したため、一定の場所に安置すると災いが起こるというもの。もう一つは、地蔵を背負った巡礼者がこの地で亡くなり、供養のためというものです。

金泥の彩色が施された木造の地蔵は、疫病除けにご利益があるといわれています。

☎0296・33・2726(神明宮氏子総代・堀米さん)

最徐行! 往来の安全見守る

古山地蔵尊(真岡)

道路の真ん中で人々を見守り続ける「古山地蔵尊」

茨城県境に近い真岡市古山地区の「古山地蔵尊」は、道路の真ん中にあるとても珍しい地蔵です。

この場所はかつて薬王院の参道でした。明治維新期に廃寺となった後、道路になり地蔵は道路脇に移されましたが、村人たちに災いが続けて起こったため、1847(弘化4)年に道路の真ん中に再建されました。

地元住民によって大切に祭られ、親しまれている地蔵。幅約5㍍の道路の真ん中で、優しい顔をした地蔵の横をゆっくり車が走行しています。

真岡市古山1361付近、☎0285・83・8135(市商工観光課)

寄進続け45年 大きな手で願う

千体地蔵(那須)

大きな手に平安への願いを込め合掌する千体地蔵

国の名勝に指定されている那須町湯本の「殺生石」。駐車場から続く木道の途中で、合掌する地蔵群は圧巻の光景です。

千体地蔵の始まりは、1978(昭和53)年。那須湯本の旅館組合の依頼で教伝地蔵の新たな制作と修復を行った同町芦野の石工、県伝統工芸士の櫛田豊さんが、小さな地蔵を寄進したことがきっかけです。

そこから〝千体〟に向けて地蔵の寄進が始まり、櫛田さんが手作業で彫り続けてきた地蔵は2021年現在で約960体。地蔵の体に対して大きな手には、平安への願いが込められています。

那須町湯本、☎0287・76・2619(町観光協会)

笑顔で和やかに… ご利益保つ

日光ぽっくり地蔵(日光)

優しく穏やかな表情のぽっくり地蔵

世界遺産の日光の山々に囲まれた天空の寺「三宝山等泉寺」。九十九(つづら)折りを上がった砂利道を1㌔進むと穏やかな空気が漂いお地蔵さまたちが出迎えてくれます。

緑に囲まれた山里にある三宝山等泉寺

8年前から安置されているぽっくり地蔵。「ぽっくり」とは、大和言葉の「保久利」が語源。家庭は人間関係の出発点。家族が笑顔で和やかに暮らし合えば久しく御利益が保たれるという意味です。ぽっくり地蔵の周りには、小さなお地蔵さまがたくさん。優しい笑顔に癒やされます。

日光市瀬尾3228の3、☎090・1774・1194(午前10時〜午後4時)

六地蔵 心和ませ笑顔になって

ほほえみ地蔵尊・ 夢かなえ地蔵尊 (さくら)

見た瞬間、だれでも笑顔になってしまうユニークで可愛い地蔵

7月上旬から見頃を迎える20数種類のハスなど四季折々の花々が美しい「東国花の寺百ヶ寺 東輪寺」。ユニークな地蔵が参拝客を出迎えています。

第40世の人見照雄さん(75)が「お寺は心も体もピーンとなるような場所だけれど、一歩足を踏み入れたら一瞬心が和み、思わず笑顔になってもらえるように」と、2016(平成28)年3月に設置しました。

 
 

「ほほえみ地蔵尊・夢かなえ地蔵尊」と名付けた6体の地蔵。マイクを持った「カラオケ地蔵尊」や眼鏡をかけた「学問地蔵尊」など、柔和な笑顔を見ていると願いがかなう気がしてきます。

さくら市鹿子畑1117、☎028・685・3836


日光のお地蔵さまといえば…

並び地蔵 (日光市匠町)

前掛けと帽子の赤色が新緑に映える並び地蔵

男体山から噴出した溶岩によってできた景勝地「憾満ケ淵(かんまんがふち)」。道沿いにはこけむした地蔵が70体ほど並びます。

慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)の弟子が寄進したもので、元は100体あったといわれていますが、1902(明治35)年9月の大洪水で一部が流失しています。

行きと帰りで数を数えてみると、数が合わないことから、「化け地蔵」とも呼ばれていますが、新緑の時季は、地蔵に奉納された前掛けと帽子の赤が緑に映えて数えやすいかもしれません。  

☎0288・54・0531(日光山輪王寺)

 
 

車止め地蔵尊

地蔵堂。通常、扉は閉まっている

日光街道近くの市街地にある、室町時代に開創された浄土宗の如来寺。車止め地蔵尊は市の指定文化財です。

今市宿が大火に見舞われたときも、焼け跡から無事に出てきたという

源頼朝の妻北条政子が、日光に因縁の地があることを知り、頼朝の側近の武将・安達籐九郎盛長を使いとし、像を奉納することに。鎌倉から日光に向かう今市宿の中ほどで車が急に重くなり動かなくなりました。盛長が道の傍らに寄せ、安置の場所を定めたところ、車が自由に動かせるようになったので、その地に祭り、後に如来寺境内に地蔵院を移し安置しました。

日光市今市710、☎0288・21・0105(如来寺)


しばり地蔵

 

病気平癒を願い、地域には地蔵を荒縄で縛って願を掛ける風習がありました。治ったら縄を解き、お礼参りする風習も。ただ、厚い信仰を集め、縄が解ける暇がなかったので「しばり地蔵」と呼ばれるようになったといわれています。

安産地蔵尊

 

今市図書館近くの小さな祠(ほこら)に納められている「安産地蔵尊」。

赤堀川と例幣使街道が交わる杉並木のたもとに1905(明治38)年、医師の吉原泰重郎と妻で助産師の多美子が、水子の霊を供養し安産と子育てを祈って建立しました。

☎0288・22・8211(荒神橋のだ歯科医院)


疱瘡(くさ)地蔵

 

祈願すると口の周りにできたできものが治るという言い伝えがあり、今では健康や家内安全など広く信仰を集めています。

鎌倉街道と呼ばれる古道沿いに祭られていて、戦国期に日光山を訪れた修験者によって彫られたものという説もあります。


ひこ六地蔵  

 

徳性院の地蔵堂に祭られている「ひこ六地蔵」。もとは鎌倉街道の道筋にあったといわれます。

地蔵の背面には、戦国時代に道林という巡礼者の供養のため、「ひこ六」という者が建立したことが刻まれています。うち、「弥勒元」は地方だけで使われていた年号で、1507(永正4)年と推定されます。

日光市平ヶ崎230の2、☎0288・21・0429(徳性院)