『陸上女子やり投げ元日本代表海老原有希(えびはらゆき)さんの両親(上)』はこちら

有希さんが獲得したトロフィーや記念品を眺める治男さん(右)と房子さん
有希さんが獲得したトロフィーや記念品を眺める治男さん(右)と房子さん

 治男さん 有希(ゆき)が本格的に陸上競技を始めたのは、高校生になってから。中学時代の恩師とつながりがある真岡女子高の渡辺方夫(わたなべのりお)先生に指導していただくことになりました。

 中学までは走り幅跳びや800メートルなどをやっていましたが、野球、バスケットボールで鍛えた肩の強さや俊敏な動きを生かせること、高校から始める選手が多かったこともあってやり投げを始めることに。渡辺先生の薦めもあり七種競技やリレーも練習していました。

 やり投げはすぐに頭角を現して、3年連続でインターハイに出場。最後の年は七種競技で優勝しましたが、本命のやり投げではけがの影響もあって3位と頂点を逃してしまいました。悔しさが残る結果になったため、大学ではやり投げに集中することになりました。

 房子さん 大学では授業でさまざまなスポーツに触れることができ、本人も楽しかったようです。部活の練習でも嫌々やっているような人とは組まず、一生懸命競技に取り組む仲間と練習に励んでいました。自分に厳しく練習中もピリピリしていますが、仲間から相談を持ちかけられることが多く、オリンピックの時も相談を受けて聞き役に回っていたようです。

 有希は真面目で手が掛からない子だったので基本的に自由に育てていましたが、調子が悪い時やストレスを感じている時は気に掛けるようにしていました。例えば小学生時代、学童野球で有希がピッチャーだった試合で負けてしまうと、次の日には顔にヘルペスができてしまいました。心境の変化が体に出てしまうタイプのようで、責任感の強さの表れだと思います。

2011年世界陸上大邱大会に出場した時の有希さん
2011年世界陸上大邱大会に出場した時の有希さん

 治男さん 日本代表として活躍してくれたおかげで、日本各地はもちろん世界各国にも応援に行くことができました。特に印象に残っているのは、2010年の広州アジア大会。6投目で日本新記録が出て、表彰台で日の丸が揚がるのを見た時は感動しました。

 12年の日本選手権では日本記録を更新し、ロンドン五輪の切符を手にすることができました。前年の大会で優勝を逃し、悔しさを忘れないため1年間必死で練習していた結果が出たため、本人も私たちもとてもうれしかったです。五輪本番では、8万人のどよめきでメインスタジアムが揺れるのを感じて驚きましたね。

 房子さん 引退後は所属チームで後輩を指導しながら、春から国士舘大大学院でスポーツ科学を学んでいます。これまでも苦労を積み重ねて結果につなげてきた子ですので、どういう道に進むか自ら考え頑張ってほしいです。