『2020ミス・インターナショナル日本代表寺内千穂さんの両親(上)』はこちら

恵子(けいこ)さん 中学生になると、反抗期の絶頂になり本当に苦労しました。「学校をやめる」と言い出すだけでなく「くそばばあ」と言われたこともありました。今、本人に聞くと「すべてがむしゃくしゃしていた」と言っています。とにかく耐えて、千穂(ちほ)の気持ちを受け入れて、どうにかいい方向に導くよう考えました。
守(まもる)さん 心の葛藤があったのだと思います。私に対しては突っかかってきたこともなく、素直に話していました。母親には(不満を)言いやすかったのでしょう。
高校生になると反抗期は落ち着きました。冬以外は片道10キロを自転車通学して頑張っていました。

恵子さん 大学入学で上京し、姉と暮らし始めました。そこで千穂は摂食障害になり、体重が減り、生理も止まってしまいました。私たちの前では食べて、吐くこともなかったので全く気付かず、摂食障害と分かった時は「まさか」と驚きました。
守さん 摂食障害になったのはいろいろな理由があると思います。「長身」も一因にあったようです。私たちは子どもの頃から背が高いことをいいことだと考えていました。でも本人にとってはコンプレックスになっていたようです。「いつでも帰ってきていいよ」くらいしか言えず、本当に心配しました。大学の友達が救ってくれて、克服することができました。
恵子さん 卒業後は姉の影響で客室乗務員になりました。でも、やりたいことがあると2年ほどでやめました。それがミス・インターナショナル日本代表選出大会への挑戦だったと後で知りました。親が何を言っても聞く子ではないですし、自分の人生だからと家族で応援に行きました。ハッピースマイル賞に選ばれたので、もう選ばれることはないと思っていました。ところが、最後の日本代表の発表で千穂のエントリーナンバーが呼ばれたので、「えー!」と困ってしまいました。今は広告代理店で働きながら、ミス・インターナショナル日本代表の活動をしています。
守さん 伸び伸びと育った分、伸び伸びとした人生を送っているなと思います。客室乗務員やバレエなどやってきたことは決して無駄でなかったと思います。そこで学んだ所作を生かし、日本代表に選ばれたのだと思います。
健康に気を付けながら、栃木の皆さんに愛されるような気持ちを持って、来年予定されている世界大会に臨んでほしいです。
