忘れた知識取り戻すため 夜間中学最年長の生徒 学びの意欲再燃、世代違う仲間との日々が刺激に
夜に見つめる 第4部「共に生きる」①
午後6時55分、日没とともに3時間目の授業が始まった。あるクラスは歴史の弥生時代、隣の教室では分数の授業が行われていた。外国籍の生徒はカタカナを必死に覚えている。
5月下旬、栃木市の「県立とちぎ学びの夢学園」。県内初の公立夜間中学として4月に開校した。年齢や国籍、生い立ちが異なる10~70代の48人が入学した。
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「時間はたっぷりあるから、体が動くうちにまた勉強してみようかなって」。壬生町、島田哲雄(しまだてつお)さん(77)は最年長だ。孫ほど年が離れた級友と共に教科書を開き、漢字や数学、英語を習う。60年以上前の自分を重ねながら、学びの意欲が再び燃え上がっている。
戦後間もない1948年に生まれた。母親が島田さんを妊娠中、父親は近所で起きた火事の消火活動で全身にやけどを負い、重度の身体障害者になった。
7人きょうだいの末っ子。両手が使えなくなった父に代わり、幼いころから農業を手伝った。
「1番大変だったのはかんぴょうの皮むきだったかな」と懐かしむ。午前3時に起きて、多いときには1日100個をむきまくった。ビール麦やおかぼを育てる作業に汗を流した日々も覚えている。
春や秋の農繁期になると、学校を休んで作業した。「学校へ行かずに手伝うのは当たり前。まだまだ生きるのに必死な時代だったから」
宇都宮工業高定時制に進み、昼間は宇都宮市内の書店で働いた。アルバイトの月給は1万2千円。高校の月謝として900円を、家に毎月5千円を生活費として納めた。
「あの頃は月のお小遣いが2、3千円あれば結構遊べたんだよね」としみじみと思い出す。一緒に働いていた女の子の紹介で妻と知り合った。
卒業するころ、町内に「おもちゃ団地」ができた。高度経済成長まっただ中。一般家庭の所得は大きく伸びていった。トミー工業(当時)や、「シルバニアファミリー」で知られるエポック社に勤め、長らくおもちゃの設計に携わった。
25歳で結婚した。モータリゼーションの波に乗り、大好きな車を何台も買い替え、妻と何度もドライブを楽しんだ思い出は、今も鮮明によみがえる。
妻は30歳のころにリウマチを発症した。複数の病を患い、40年以上にわたり入退院を繰り返し、7年前に亡くなった。
1人になって年金暮らし。きっかけはテレビのクイズ番組だった。小学生レベルの漢字が書けなかった。いろいろな知識を忘れている自分に思うところがあった。父や妻とは違って健康に恵まれ、まだやりたいことができる。ちょうど夜間中学の設置を伝える新聞記事を読み、縁を感じた。
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入学から1カ月。耳が少し遠く、コミュニケーションに苦労することはあるが、雑談をしたりソフトバレーで汗を流したり、世代が違う仲間と学ぶ毎日が、人生の新しい張り合いになっている。「若い兄ちゃんに負けてたまるか」。刺激を受け、競争心が芽生える。
家から最寄り駅まで徒歩15分、電車に揺られ20分。駅から学校まで5分歩く。大好きな運転ではなくても高校以来、夜に通学する時間が心地よい。「夜何時でも起きていられる夜型人間になっちゃった」と笑う。
一度高校も出ている自らの過去に悔いがあったわけではない。夜間中学が重視するのは「過去」よりも「将来」。後悔を埋めるためだけではなく、これから先どのような人生を歩みたいか、目標のためのリスタートの場でもある。
「学び直すことに遅過ぎるということは決してない。未来に光を当てた教育活動を実践したい」と江田敦夫(えだあつお)校長(51)は語る。
最近、アマチュア無線やオートバイなどかつての趣味をもう一度楽しみたいと思うようになった。学校に通い始めたことが、活力につながっていると実感する。
卒業時には80歳になる。「体力が持つなら高校、大学も受けてみたい。その前にお遍路巡りにも挑戦したいな」。人生100年時代。もう一度。いや、新たなステージへ。まだ時間はある。


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