「非日常」通じて人生にも向き合う 益子焼の陶芸家 「できたなり」師の教え胸に挑戦
夜に見つめる エピローグ「焦点」①
「ぱちぱち」。雨が降る中、薪の燃える音が聞こえる。4月23日夜7時過ぎ、真っ暗闇に包まれた益子町上大羽の山あい。陶芸家佐藤敬さん(49)の顔が照り返す炎で赤く染まる。奥をのぞき込み、まきを追加する。階段状に複数の小部屋が連なる窯「登り窯」に向き合っていた。
同月29日開幕の「益子陶器市」を控え、自身や一緒に働くスタッフの作品を焼き上げる「焼成」作業が夜も続いた。
大規模な登り窯を利用するのは、基本的に陶器市が開かれる春秋の年2回。特別な「非日常」の期間、ルーティンとは異なる時間、空間の中で思索にふける。
「普段とは違う、大げさに言えば人生について考えます。どんな新しいことに挑戦しようか…とかですね」
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通っていた千葉県の高校の授業で陶芸に初めて触れた。手先が器用なほうなのに、全く思い通りに操作できないろくろに引き付けられた。
高校卒業後は「半端な気持ち」で米国留学し、1年ほどで帰国した。改めて陶芸家を目指すことを決意し、縁がなかった益子に来たのは四半世紀前。知人を介し、今も地元で伝説的に語られる陶芸家故成井恒雄さんと出会った。
弟子は取らない主義の成井さんが「たまに顔出しなよ」と迎え入れてくれた。同じように志を持つ仲間が集まっていた。「自分みたいな半端だったよそ者も迎え入れてくれる。益子には優しさがある」
成井さんの仕事を見つめ、追い続けた。土をこねる「土もみ」では、あえて空気を入れ、パン生地のようにふかふかにする。空気を抜く定石と一線を画し、含ませることで仕上がりと肌触りが柔らかくなる。
ろくろは電動ではなく、足で蹴る「蹴ろくろ」を使う。蹴る力と速度、沿わせる手の使い方-。仕上がると、同じような形でもおのずと個性が宿ることが分かった。「一生探究できる、完成がない技術に出合えた」と思った。
試行錯誤を重ね、朝鮮半島伝来の技法「粉引」をアレンジした淡い黄色、かつ柔らかく仕上げる独自の表現を確立した。「黄粉引」と命名したそのシリーズは高く評価され、今や大手セレクトショップ「アーバンリサーチ ドアーズ」で常時販売されている。
間もなく50歳。今年、自宅敷地に「穴窯」を新たに作った。トンネル状の単室構造で熱効率が低く、炎と灰が直接作品に影響する。登り窯より原始的な窯だ。
温度を上げるため数日間、火を入れ続ける必要もある。あえて困難な窯で、つぼ・花器など大物に挑もうと決めた。「50歳は今までの自分を総動員し、本当にやってみたかったことに挑戦する最後のチャンス」
さかのぼること11日前、4月12日の夜9時。佐藤さんの穴窯にスタッフ、修行中の英国人、陶芸を志す地元高校生ら仲間が集まった。
「温度は上がってる?」「このあたりはまだかも」-。前日午後3時から火を入れ、温度を上げてきた。夜通しで仲間と共に交代で薪を入れ、温度や釉薬の溶け具合をチェックする。
1200度まで温度を上昇させ、焼き終えたのは15日未明だった。その日の午後、冷めた窯をのぞくと、温度調整が難しかったのか、大物は割れている作品もあった。「まだまだだね」と話す佐藤さんの表情に悲観はない。「根気よく続けていくことが大事だから」とつぶやいた。
かつて成井さんは丁寧に作業を積み重ねて自然にできあがったものを「できたなり」と呼んだ。「無理に形を作るな。できたなりがいい形なんだ」
本企画の連載に登場した高橋陽さん(20)は夜間の定時制高校に通い、夢に挑む道が見えた。宇都宮市、大越幸造さん(62)は30年前に脱サラし、夜のレストランバーに人生を懸けると決めた。夜は本気で何かに取り組む人の挑戦を後押し、受け入れる。
師である成井さんや益子の先人たちが残したものを次の世代につないでいくために。佐藤さんも気力、体力とも充実している実感がある。「あと10年」。ひたすら作品と向き合い、技術を磨き続ければ-。「次の景色が見える気がするんです」


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