幼い長男か、知人の子らしき赤ちゃんを抱く箱石さん。労苦ゆえか、やつれても見える

 理容店「ヒカリ」が理髪の職人さんを雇えるようになるくらい、客足が上向いていた1944(昭和19)年の夏。二郎(じろう)さんの元へ召集令状が届きました。

 「あの家、赤紙届いたって」。そんな言葉がご近所で交わされていましたから、いつかはと思っていました。それでもいざ令状を前に、私は二郎さんと顔を見合わせ、何とも言えない気持ちになりました。言葉にするなら「これは難しい。駄目かもしれない」という絶望感でしょうか。