空襲で甚大な被害を受けた新宿大通り。箱石さんは辛くも難を逃れた(ジャパンアーカイブズ提供)

 二郎(じろう)さんの出征後も、私はしばらく2人で始めた理容店「ヒカリ」を守り、仕事を続けていました。

 でも、やがて空襲が激しくなり、私は大内村(現那珂川町)の実家に戻りました。当時は東京のあちこちに爆弾が落ちて、夜には花火のような光がひらひらと舞っていましたから、とても落ち着きませんでした。