1938(昭和13)年2月20日付下野新聞
1938(昭和13)年2月20日付下野新聞

 日中戦争下の1938(昭和13)年、第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国家総動員法」を成立させた。政府は議会の審議を経ることなく、資源の管理や労働力の徴用など、国民生活のあらゆる面を軍事目的で統制することが可能になった。

 2月20日付の本紙では「国家総動員法案 修正を加え閣議決定」「きょういよいよ衆議院に提出」「報道制限条項存置」と報じている。陸軍の強い圧力も背景に衆議院では全会一致、貴族院でも賛成多数で可決し4月1日に公布した。

 以後、同法に基づく「勅令」として数多くの法律が成立した。39年7月には軍需工場などの重要産業に国民を強制的に従事させる「国民徴用令」が公布。国民の経済活動の自由は失われ、総動員体制が構築されていった。

 県内では38年10月3日に、4代目の県庁舎の竣工(しゅんこう)式が行われた。4日付本紙は末次信正(すえつぐのぶまさ)内務大臣の祝辞文とともに「昨日厳かに行わる」と伝えている。

 物資や資金が統制される中での建設で、県民の寄付や無償奉仕もあった。戦時中は外壁を黒く塗り空襲を免れた。一部は現在、昭和館として保存されている。