1929(昭和4)年10月2日付下野新聞
1929(昭和4)年10月2日付下野新聞

 日光と首都圏を結ぶ足として定着している東武日光線。東武日光駅と杉戸駅(現在の東武動物公園駅)間(94・5キロ)が全線開通したのは、今から95年前の1929(昭和4)年10月1日のことだった。

 翌2日付の本紙は「日光東武線開通」の見出しで、県民全体が開通を期待していたと伝えている。開通初日には日光東照宮の神職による祭りが執り行われたほか、開通祝いとして5日間運賃が割り引きになることなども掲載されている。

 この年は東京の百貨店「松坂屋上野店」にエレベーターガールが登場。3月に卒業した東大生の就職率が3割となり、映画「大学は出たけれど」がヒットを飛ばした。

 国外に目を向けると、10月24日、ニューヨーク株式市場で軒並み株価が大暴落した。「暗黒の木曜日」と呼ばれるこの日が、世界恐慌の引き金となった。同26日の本紙は「雪崩の如く 見るゝ暴落」とスチール株などの下落を報じている。

 世界経済の冷え込みを受け、アメリカは保護貿易、イギリスやフランスはブロック経済を形成するなど保護主義が広まった。各国の対立が鮮明になり、緊張感が高まった。