
1933(昭和8)年2月24日、スイス・ジュネーブで開かれた国際連盟の総会。満州事変で日本が中国東北部につくり出した満州国を国家として認めず、日本軍の撤退を求める決議案は賛成42カ国、反対1カ国(日本)、棄権1カ国(現タイ)で採択された。
これを受けて松岡洋右(まつおかようすけ)ら日本代表団は議場から退場。連盟の常任理事国だった日本はその立場を手放し3月27日、連盟に脱退を通告した。
本紙は「歴史的総会閉幕」の見出しで号外を出し、松岡らの退場を「劇的退場を決行した」などと報じた。脱退時には「東洋における事態安全の基礎を破壊せんとするものなり」などと激しく書き連ねた、脱退通告文を全文掲載した。
県内では芳賀郡などで決起集会が開かれた。現芳賀町では約2千人が集い、万歳三唱。「敢然として連盟を脱退し(中略)東洋の平和を基調とする国是の遂行に邁進(まいしん)し」などとする宣言文を読み上げた。壬生町では青年有志が、満州国に送るための血染めの日章旗を町役場に届けた。
だが結果的に、そうした判断が日本を国際社会から孤立させることになった。