1936(昭和11)年2月27日付下野新聞
1936(昭和11)年2月27日付下野新聞

 「帝都のネオンは光を消した」「戦時警備下のその夜の帝都の姿」-。陸軍青年将校が約1500人の兵を率いて首相官邸などを襲撃した1936(昭和11)年2月26日の翌日、本紙は戒厳令が敷かれ緊張感が漂う帝都の様子を報じた。

 当時の日本は昭和恐慌の影響で失業者が増え、農家も困窮していた。政治家を巻き込む疑獄事件が相次いで表面化。市民は政治不信に陥り、中国大陸で勢力を拡大する軍部に期待するようになった。右翼や国家社会主義者らを中心とした国家改造運動も起こった。

 そして2月26日未明、天皇親政を目指し武力行使も辞さない「皇道派」の青年将校たちがクーデターを決起。高橋是清(たかはしこれきよ)蔵相らを殺害した。昭和天皇が鎮圧を命じ、軍は「反乱軍」として包囲。投降を促し29日、クーデターは終結した。首謀者たちは死刑となった。

 この二・二六事件の後、広田弘毅(ひろたこうき)内閣が誕生したが、軍が表立って政治に介入するようになり、発言力は増していった。

 県内ではこの年、県庁で大火があった。3月31日未明に出火、軍隊と消防の3千人余りが出動して消火に当たったが、本館の大部分を全焼した。