1945(昭和20)年3月28日付下野新聞
1945(昭和20)年3月28日付下野新聞

 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月26日、米軍が沖縄県の慶良間(けらま)諸島に上陸し、沖縄戦が始まった。数カ月に及んだ戦闘では軍人だけでなく、大勢の一般市民も巻き込まれて犠牲となった。

 本紙は3月28日付の1面で「敵の一部慶良間列島に上陸」「沖縄本島に砲爆撃」などと報じた。

 侵攻を続ける米軍に対し、日本軍は兵力不足を補うため10代の子どもも動員した。生徒らは看護活動や軍の物資運搬、爆撃で破壊された橋の補修などに従事させられた。

 沖縄戦では「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい砲爆撃に加え、住民同士が手をかけ合った「集団自決(強制集団死)」や日本軍による住民のスパイ視、餓死などが発生し、悲惨な戦いが続いていった。

 戦闘は6月23日に第32軍の牛島満(うしじまみつる)司令官らが自決したことで、組織的な戦いは終結したとされている。

 しかし、その後も一部では戦闘が続き、現地の日本軍が降伏文書に調印したのは8月15日の終戦から約3週間が経過した9月7日だった。犠牲者は20万人を超えるとされ、このうち約10万人が一般住民だった。