空襲(上) ■ あと数秒で火だるまに
渡辺力栄さん(82)=茂木
患者や見舞客が絶え間なく訪れる真岡市台町の芳賀赤十字病院。
「70年前にここであったことを知っている人が、どれだけいるでしょうかね」

茂木町茂木、渡辺力栄(わたなべりきえい)さん=取材当時(82)=は、玄関から門まで続く緩やかな下り坂を見つめた。今も、ありありと目に浮かぶ。幾筋もの「火の川」が流れたあの光景が。
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グオン、グオン-。
消灯後の暗闇の中、降りしきる雨に交じり、米軍爆撃機B29の重低音が迫ってきた。渡辺さんは4歳年上の兄と、同病院の前身「芳賀病院」に入院していた。
620人を超える犠牲者を出す「宇都宮空襲」があった1945年7月12日夜。近隣の鹿沼市、そして芳賀病院周辺にも焼夷弾(しょういだん)が投下された。同周辺で民家30~40戸が焼失したとされる。
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「逃げろ」。兄の叫び声で、渡辺さんは弾かれたように病室を飛び出した。火災で明るくなった院内。視界の隅に、ごう音とともに天井を突き破って焼夷弾が落ちてくるのが見えた。
玄関に出ると、雨水と焼夷弾の油が一緒になって引火し、炎が川のようになって流れていた。はだしのまま、夢中で逃げた。
「あと1、2秒遅れたら、私は火だるまになっていたでしょう。火の中を逃げたのはあの時だけ。あんな恐ろしい目には二度と遭いたくない」
近くの防空壕(ごう)に駆け込み、約3時間、足首まで雨水につかりながら立ち続けた。救護され、寝かされた寺の本堂。皮がべろんとむけた足が目の前にあったのを覚えている。
翌日、目覚めた時、その足はもうなかった。手術を受けたばかりの入院患者で、全身にやけどを負い、亡くなったと聞いた。
「子ども心に『病院は安全だ』と思っていたが、そうではなかった。戦争はひどい。病院までも爆撃を受ける。勝とうとして何でもしてしまう。とにかく戦争をしては駄目なんです」
その思いを若者に伝えたい。渡辺さんは茂木町内の中学校で、生徒たちに体験を語り続けている。
■黒焦げの遺体、忘れられず
柿沼昭雄さん(87)=宇都宮

1945年7月12日の宇都宮空襲の直後、小金井(現下野市)の食糧増産隊本部から遺体置き場となった東国民学校(現宇都宮市東小)に駆け付け、がれきの後片付けに当たった。
「校庭に、前かがみの姿勢で黒焦げになった遺体があったのが忘れられない。戦争は残酷。孫が今、あのころの自分と同じ年になる。孫の代はどうなるのか分からない。戦争は絶対にやっては駄目だと伝えたい」
■地獄と知れば戦争しない
福田勇さん(89)=鹿沼

1945年3月10日の東京大空襲に遭い、多くの犠牲者が出た墨田区の菊川橋で一夜を過ごす。同年7月12日、鹿沼市でも空襲に遭い、焼夷弾で実家が全焼した。
「菊川橋では助けたくても助けられなかった。鹿沼でも防空壕に入った近所の家族が亡くなった。起きたことを知ってもらうことで犠牲者も浮かばれると思う。戦争は地獄。あったことを知れば、誰も戦争はしない」
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長男・昭夫さんに聞く 「遺志継ぎ2冊目」誓う

茂木町茂木、元高校教諭渡辺力栄(わたなべりきえい)さんは2022年に89歳で亡くなる直前まで、戦死した兄栄一(えいいち)さんの手記を本にまとめ、後世に残そうとし続けた。
力栄さんの長男で東京都大田区、舞台照明会社代表渡辺昭夫(わたなべあきお)さん(64)は「病室に原稿用紙と鉛筆を持ってくるよう頼まれました」と在りし日を振り返る。
力栄さんは09年、旧日本軍の衛生兵として従軍し26歳で戦死した栄一さんの遺稿集「野戦病院」を自費出版した。1冊の手帳にしたためた従軍中の思いを中心に、作家を目指していた栄一さんの詩や短編小説、戦地から家族へ送った手紙なども盛り込んだ。
出版に当たっての主な作業は、スマートフォンほどの小さな手帳にびっしりと書かれた字を読み解くことだった。悪筆で1ページの解読に数日かかったというが、家族の手は借りようとしなかった。昭夫さんは「父はノイローゼになったし、机に向かい過ぎて足腰も弱った」と振り返る。
手帳は2冊目が存在する。主な内容は軍事作戦とみられ、捕虜の扱いや処刑の内容などが記されていることから、力栄さんは「世に出したら困る人がいるかもしれない」と感じていたという。しかし晩年、戦争体験者が減っている状況も踏まえ、2冊目の書籍化を模索していた。
ライフワークだった演劇関係の活動にも没頭していた。妻が認知症を患い、介護する日々だったこともあり、2冊目の解読はほとんど進まなかった。その矢先、自身の体が病魔に襲われた。
病床で「死んでなんかいられない。俺にはやらないといけないことがある」と思いを語っていたという力栄さん。昭夫さんは「心残りだったのでしょう。それだけ反戦や平和への思いが強かった」と話す。
2冊目の手帳は今、昭夫さんの手元にある。亡くなる直前、力栄さんから託され、受け取った。「解読はとても難しいし、体力もいる。けど、父の遺志は継ぎたいと思っている」。昭夫さんは、そう誓いを立てている。