日常を一変させた2024年元日の能登半島地震から1年。大規模火災でほぼ全域を焼失した石川県輪島市の観光地「輪島朝市」周辺を歩く。建物のがれきはほとんどが撤去され、更地が広がる。一方、正月飾りが飾られたまま崩れた家屋など、付近には1年前から手つかずの場所もある。同じ町内。栃木市出身の被災者が地震と水害に耐え、生活を再建しつつある。被災者を励まそうと、本県から駆け付けたボランティアの姿もあった。1、2の両日、同市内を取材した。

 1年前、200棟超が焼け、焦土と化した火災現場。大部分は更地になったが、ぐにゃぐにゃにねじれた鉄くずが残る。一部の残骸からは焦げた臭いが漂い、被害の悲惨さを今も伝える。1日午前8時ごろ、輪島朝市の周辺を初日の出が照らした。手向けられた花束が朝露にぬれていた。

 栃木市出身、介護士藤森攝子(ふじもりせつこ)さん(56)は朝市がある同市河井町で暮らす。昨年1月の取材以来、約1年ぶりに再会した。

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 激震が襲った1年前と同じ時刻。上三川町出身で石川県珠洲市正院町、小学校教員小町成美(こまちしげみ)さん(42)ら家族は1日、自宅で黙とうをささげた。地震、津波、避難生活-。「元日にどん底になり、そこからどう前を向いていくか考えた1年だった」と小町さんは話す。近隣で暮らす住民は減り、地域コミュニティーの存続に不安がよぎる。復旧復興へのさまざまな支援に感謝し、「また頑張っていかないといけない」と語った。