1945年元日の朝、太田康子(おおたやすこ)さん(98)は沖縄島北部の沖合に浮かぶ伊江島で、不気味に旋回する米軍機を見上げた。「空襲が来る」。これまでの“経験則”が、偵察の次は空襲だと教えていた。とっさにアダンの木陰に身を隠した。
当時、伊江島では日本軍が「東洋一の飛行場」を建設していた。19歳だった太田さんは、前年の12月22日から徴用で駆り出された。
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