大田原市は、同市湯津上の国史跡侍塚古墳の管理団体となる見込みとなった。史跡指定以来70年余り積み残されてきた管理体制の確立という課題は解決する。急速に進む松枯れへの対応など史跡の保全とともに、活用に向けて注力しなければならない。

 侍塚古墳は、上下2古墳からなる。下侍塚が「日本一美しい古墳」と言われるのは、墳丘の松の優美さからだ。古墳の大きな象徴と言える松が松くい虫被害に遭っているのだから、事態は極めて重い。市は上下古墳の計約180本のうち約30本の被害を確認している。拡大のスピードは増しており、危機的な状況である。

 1951年の国史跡指定後、20年前の市町村合併前の旧湯津上村が管理団体を引き受ける話が上がったこともあり、市は安全確保の応急措置で危険木の伐採、撤去を行ったこともあった。経緯は不明確だが、管理体制整備の議論は進まず本年度、ようやく国との協議は本格化した。松枯れの深刻化に強く背中を押された形だ。

 市は団体指定後、保存に向けた計画を策定し、国の財政支援を受けながら対応することになる。一定の財源の裏付けを持って継続的に活動できる意義は大きい。

 団体指定に向けた環境整備として文化庁は、既に分かっている被害木を本年度内に伐採する見通し。しかし今の松は樹齢100年前後になっており、樹勢は弱まりつつあると言われる。現段階で被害木を伐採しても、被害は続く可能性が高い。

 古墳の保全は、自然が相手だけに一筋縄でいかないだろう。景観を守るには若木を育てることも重要である。粘り強い取り組み、古墳を愛する地元の人たちと連携強化を期待したい。

 市は「歴史と伝統を生かしたまちづくり」を掲げる。県内市町でいち早く「文化財保存活用地域計画」を策定。相馬憲一(そうまけんいち)市長は市長選公約で侍塚古墳や、近接の国宝那須(なすの)国造碑(くにのみやつこのひ)を軸とした「歴史公園」構想を示している。

 侍塚古墳を守る体制の確立は、歴史のまちづくりを力強く進める一つの礎である。ここ数年で出土した佐良土上の原Ⅱ遺跡の官衙(かんが)(公共施設)跡、侍塚北古墳のほぼ完全形のつぼといった成果も含め、周辺資源の魅力を極大化する形を探ってほしい。