2011年3月11日の東日本大震災から14年となった。本県でいまだ解決されない震災の課題は、東京電力福島第1原発事故で生じた放射性廃棄物を含む指定廃棄物の処理である。暫定的な集約は進みつつあるとはいえ、最終的な処分方法は決まっていない。未解決のままで問題を風化させることは許されない。

 環境省や県によると、県内には昨年12月末時点で約1万75トンの指定廃棄物があり、公共施設などで保管されている。

 このうち農業系廃棄物は県北部の6市町で約2038トン。那須塩原、日光、大田原の3市は同省との合意に基づき、それぞれ保管施設を確保して暫定集約を完了した。

 最多の1679トンを抱える那須町は、53の農家がそれぞれの私有地で保管している。同省によると、近く町内に保管施設が完成。早ければ4月にも搬入を始め、来年1月までを目標に暫定集約を完了させる方針だ。

 矢板市と那珂川町は集約先がまだ決まらない。農家の負担を軽減させるためにも、早急に適地を見つけてほしい。

 ただ、これらはあくまでも一時しのぎに過ぎない。国は塩谷町に処分場(長期保管施設)を造る方針だが、同町は町を挙げて反対して国と対立し、10年がたつ。

 環境省は大臣が代わるたびに「地元との対話」を掲げるが、塩谷町との協議は16年9月を最後に行われていない。もつれた糸をどうほぐすつもりなのか。「暫定集約」とはいつまでなのか。同省はなるべく早い時期に示すべきである。

 一方、震災では岩手、宮城、福島の3県を中心にマグニチュード(M)9・0の地震と津波に襲われ、死者は1万5900人、行方不明者は2520人。人的被害は本県を含め北海道から神奈川まで計12都道県に及んだ。避難などに伴う関連死は今も増え、3808人となった。2万2千人を超える犠牲者の方々のご冥福を改めてお祈りしたい。

 津波で「壊滅的」と言われた地区も多い。今は見上げるような防潮堤が続き、道路は整備され、住宅や学校が並ぶ。町はすっかり新しい姿になった。「暮らしは落ち着いた」という声も聞く。ただ課題は依然多い。

 一つは土地の利用だ。新たな町づくりは主に、住宅や施設を海から離れた高台に移転する「防災集団移転」と、その場で土地をかさ上げして再建する「土地区画整理」の二つの方法で行われた。

 いずれの方法でも利用されている土地は約4分の3。住宅や商業施設が集中するエリアはにぎわいも感じるが残り4分の1は使われていない。

 設計や住民の合意に時間がかかり、避難先での生活が定着したり、事業の再開を断念したりして戻らない人が多かったためだ。全体がきれいになった分、空き地が目立つ印象も受ける。

 31年3月に設置期限を迎える復興庁の在り方も問われる。石破茂(いしばしげる)首相は26年度に「防災庁」を設置する方針を明らかにしている。熊本地震、能登半島地震と災害が頻発する中、東日本大震災に特化した態勢を維持するのか、変えるのか。態勢や予算については、厳しい状況の福島を中心に、引き続き被災地の意向を尊重するべきだ。