「公害の原点」とされる足尾鉱毒事件により1906(明治39)年に強制廃村となった旧谷中村(現栃木市)。同村に関わった人びとの子孫らの証言を核に鉱毒事件をひもといた書籍が「足尾鉱毒事件 一人ひとりの谷中村」(2024年、揺籃社刊、永瀬一哉(ながせかずや)著)だ。

「足尾鉱毒事件 一人ひとりの谷中村」
事件の解決に奔走した田中正造(たなかしょうぞう)研究の第一人者・赤上剛(あかがみたけし)さん(84)=茂木町出身=が「事件を研究する上では欠かせない名著」として本紙に書評を寄せた。

赤上剛さん
今年で古河市兵衛(ふるかわいちべえ)が足尾銅山を創業し148年、銅山が閉山し52年が経つ。いまだ鉱毒問題は続き、足尾の広大な国有林は煙害ではげ山となり、巨額の税金を投入しても緑がやや戻ったに過ぎない。足尾には鉱毒の堆積場が14あり、戦後2度も決壊した。
鉱毒水汚染の渡良瀬川沿岸の被害民闘争は近代日本初の公害事件として知られる。栃木・群馬・埼玉・茨城の被害民が一体となり、田中正造らも加わった強力な運動だった。
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