麻理亜(まりあ)を堅魚(かつお)市に迎え入れるにあたり、この旅館を彼女の仮の住居にしようと思って悦子(えつこ)に打診したところ、色よい返事をもらえたのだ。夫の死から二年が経ち、ようやく悦子も悲しみから立ち直ったとみえる。もともと世話好き人間だ。

「お世話になります、紺野(こんの)です」

「お嬢さんは一階の一番奥の部屋を用意したわ。そちらの方は今部屋を支度するので、もう少しお待ちくださいな」

 ミリッチが靴のまま上がっていこうとして、麻理亜に制されていた。奨吾(しょうご)は悦子に言った。

「女将(おかみ)さん、食費や光熱費、クリーニングの費用などは何とかします。レシートの類いは必ず私にください」

「はいはい、わかりましたよ」

 ボランティアで二人を泊めてもらうわけにはいかない。ただ、役所というのは年間を通じて予算が決まっており、そう簡単に支出することができないのだ。どうやって塩野(しおの)屋に謝礼を払うか。これから思案する必要がある。

『酒をください』

 不意にミリッチが自分のスマートフォンを悦子に向けた。悦子が律義(りちぎ)にうなずいた。

「はいはい。何にいたしましょう? ビール? 焼酎? それとも日本酒?」

『酒をください。美味(おい)しい日本酒をください』

「わかりました。すぐに用意いたしますきに」

 悦子が奥の厨房(ちゅうぼう)に向かって歩いていく。溜め息をつき、奨吾はその姿を見送った。すでにミリッチは壁際にある応接セットのソファーに座ってくつろいでいる。

「ちょっといいですか?」

 麻理亜に袖を引っ張られる。彼女は自分のスマートフォンをこちらに向けてきた。

「あのおじいさん、結構有名な人みたいですよ」

 麻理亜が画面を見せてくる。そこには現役時代の写真とともに、ゴラン・ミリッチなるバスケットボール選手が紹介されていた。