島田正吾(左)と浜木綿子=1973年(東宝演劇部提供)

浜木綿子=東京都千代田区の帝国劇場

10回続きの(9)

 島田正吾(左)と浜木綿子=1973年(東宝演劇部提供) 浜木綿子=東京都千代田区の帝国劇場 10回続きの(9)

 舞台、映像で約70年にわたり、主演し続けてきた俳優・浜木綿子。開場から舞台に立つ東京・日比谷の2代目帝国劇場は建て替えのため2月末に幕を閉じた。浜の航跡を人との出会いを軸にたどる。

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 浜木綿子が師と仰ぐ劇作家で東宝の専務だった菊田一夫は1973年4月4日に65歳で没した。「『どんなに憎らしい役でも、かわいく演じろ。美しいなんて言われるより、チャーミングだねと言われる役者になりなさい』と言うのが菊田先生の教えでしたね」

 同年11、12月、芸術座公演「湯葉」で初主演を果たす。明治時代の東京で湯葉作りに生涯をかける役であった。「浜に主役を、という菊田先生の遺言とうかがい、うれしくて涙が…。感謝しかありません。芸術座は舞台とお客さまが近くて怖い劇場なので緊張しましたね。受け身の芝居で、静と動で言ったら静。しゅうと役の島田正吾さん、しゅうとめ役の三益愛子さんが、とてもお優しく温かいので救われました」

 その後は各劇場での主役が続く。76年5、6月、芸術座での主演が有吉佐和子作「芝桜」。戦前の花柳界を舞台にちゃっかりした蔦代ときまじめな正子という対照的な2人の芸者の姿を描く。浜は蔦代で緩急自在な演技を示し、再演を重ねた。

 92年3、4月の芸術座公演の正子役で初共演した樫山文枝は浜の演技に圧倒された。「稽古初日から悲しい場面になると浜さんが涙をあふれさせて泣かれるのね。場の空気を生かされ、間の取り方、感性など天才と思いました。舞台での在り方を勉強し、大いなる栄養になりました」と話す。

 蔦代は正子を裏切り、翻弄する。「幕が下りる時に私へのお客さまの目が厳しくなっているように感じました」と浜。菊田の教えがそこで生きた。「憎めないところを残すようにしました。それと品。品格は清潔感につながります。下品なことを口にしてもお客さまが引かないような演技をしなければいけません」(小玉祥子・演劇評論家)

※10回連載の9回目です。次回は1週間後にUPします。

【略歴】こだま・しょうこ 1960年、東京生まれ。全国紙演劇担当を経て演劇評論家に。主な著書に「艶やかに 尾上菊五郎聞き書き」「完本 中村吉右衛門」など。