本県アマチュアゴルフの最高峰、県知事盃ゴルフ競技大会は今年、第60回の節目を迎える。あまたの名勝負やドラマを生み、本県ゴルフ界の振興に貢献してきた大会の歴史を、記録や関係者の証言などから振り返る。

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 「決勝は18ホールか36ホールか」「大会名は」「周知方法はどうする」…。

 初の東京五輪の翌年、朝永振一郎(ともながしんいちろう)が日本人2人目のノーベル賞(物理学)を受賞した1965年。一つのアマチュアゴルフ大会が黎明(れいめい)を迎えようとしていた。宇都宮カンツリークラブ(CC)レストランで開かれた県ゴルフ大会準備委員会。侃々諤々(かんかんがくがく)の意見が交わされていた。

 顔ぶれは竹中十良雄(たけなかとらお)、池田義男(いけだよしお)、池頭嘉弘(いけがしらよしひろ)、滝沢多聞(たきざわたもん)ら約10人。鬼籍に入った者も少なくない。

 スーパー、石材業、塗装業の各経営者、医師などで、いずれも唐沢ゴルフ倶楽部(GC)、宇都宮CCなどのシングルプレーヤーだった。発端は「誰が県内で一番強いか決めようではないか」という各ゴルフクラブ間の意地の張り合いだったようだ。