「島の住民は一人残らず西表島に疎開せよ。反対する者は切り捨てる」
1945年4月8日、それまで優しかった「山下先生」が豹変した。軍刀を振り回し、波照間島の全住民にマラリア有病地の西表島南風見(いりおもてじまはいみ)地区への疎開を命じたのだ。
山下虎雄(やましたとらお)は陸軍中野学校出身の離島残置工作員。本名(酒井喜代輔(さかいきよすけ))と身分を秘匿して青年学校の指導員をしていたが、この日を境に軍曹になった。
波照間(はてるま)シゲさん(87)は当時7歳だった。
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