NHK大河ドラマ「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)」で注目が集まっている吉原遊郭。蔦重こと蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の時代から約100年前の吉原に、栃木県出身の伝説の遊女がいたことをご存じだろうか。名前は「高尾太夫(たかおだゆう)」。現在の那須塩原市(旧塩原町)で生まれ、江戸の遊郭・三浦屋に養女として迎えられた少女は、大火で全焼した家を再興するために遊女となったと伝わる。その数奇な生涯について知るため、県内ゆかりのスポットを巡った。
高尾太夫の経歴については諸説あるものの、塩原町誌などには、1641(寛永18)年に塩原温泉の元湯地区で生まれたと記されている。幼名は「あき」。
家は貧しく、塩原温泉で木の葉の化石を売って家計を助けていたとも伝えられている。聡明(そうめい)で器量も良いあきは、遊郭・三浦屋夫妻の目にとまり、養女に迎えられた。
しかし、1657(明暦3)年の明暦の大火で、三浦屋は全焼。再建のため、あきは自ら太夫になることを決意し、2代目として「高尾」を襲名した。
那須塩原市塩原の妙雲寺には、高尾太夫の遺品が大切に保管されている。加藤明徹(かとうみょうてつ)住職(71)を訪ねると、遺品を見せてもらうことができた。数珠や小物入れなどは、福島県いわき市に移り住んだ高尾太夫の生家の子孫から2023年に託されたもの。三浦屋の「三」の印が書かれた文庫箱に入っていたという。

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