死者14人、負傷者6千人超に及んだ地下鉄サリン事件から今年で30年を迎え、かつてオウム真理教の大規模拠点が存在した山梨県の旧上九一色村(現富士河口湖町)を本紙記者が30日、山梨日日新聞社の案内で訪ねた。教祖・麻原彰晃(あさはらしょうこう)(本名・松本智津夫(まつもとちづお))らによる、日本中を戦慄(せんりつ)させた凶行につながる施設は解体され、見る影もない。かつて大田原市でも転入反対運動が起こったオウム。「人々はなぜ信じ、突き進んでしまったのか」。教団と対峙(たいじ)した住民ら関係者の脳裏に刻まれた記憶は、重い課題を今も社会に突き付ける。

第2、3、5サティアンがあった富士ケ嶺公園に立つ慰霊碑(左)周辺を視察する本紙記者ら=30日午後、山梨県富士河口湖町
「オウムの村」。そう呼ばれた。静岡との県境にあった村の南端、富士ケ嶺地区内7カ所に、信者の修行部屋や印刷工場、猛毒のサリン製造といった役割ごとに番号が付いた建物「サティアン」などが立ち並んだ。32あった建物は取り壊され、今は更地になっている。
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