指揮者の山田和樹が6月12日、世界最高峰のオーケストラの一つ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会にデビューした。14日までの3日間、楽団の本拠地フィルハーモニーホールで、レスピーギの「ローマの噴水」、武満徹の「ウオーター・ドリーミング」、得意とするフランス音楽からサンサーンスの交響曲第3番「オルガン付き」を演奏した。
聴衆で埋まった会場は歓声に沸き、「彼の指揮をまた聴きたい」と話す人も。貴重な機会に立ち会いたいと足を運んだ東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスター近藤薫は「(演奏が)びっくりするほど自然で、彼の良さがよく出ていた。誇りに思います」と感慨深げ。ドイツの地元紙は初日の公演を「透明感とマイルドさの魅力的なブレンド」との見出しで伝え、「一言で言えば大成功の夜だった」とたたえた。
日本人指揮者の定期演奏会登壇は、楽団に愛された小澤征爾以来9年ぶり。新たに起用された指揮者としては14年ぶりとなる“大舞台”。初日の公演から一夜明けてインタビューに応じた山田は、ユニークな比喩を交えながら手応えを語ってくれた。
―ベルリン・フィルとの演奏は楽しめた?
音楽は楽しいもの。ではベルリン・フィルを指揮することは楽しいのか、というのが今回、僕の隠れテーマでした。クオリティーの高さや理想を突き詰めていくと「楽しい」とは違う世界に行ってしまうことがあるから。結果としては、楽しさを共有できた。ベルリン・フィルの音楽の楽しみ方は上質で、すごくおおらかでした。
―2日間のリハーサルもオープンな雰囲気だったとか。どんなことを心がけた?
攻めずに受ける。将棋でいうと大山康晴十五世名人のように相手の手を知り、その手を出させて、最終的には自分のやりたいように持ってくのが(指揮者としての)理想です。もちろん曲や演奏についての考えはどんどん伝えますが、最初から何かをしようとしないで、受け止めようと心がけました。
―得意曲のサンサーンス。ベルリン・フィルとの演奏はどうでした?
ベルリン・フィルはすごい緻密で時計職人のようなカチッとした演奏になるので、フランスのモネやマネの絵画のような淡いグラデーションを出してほしいと伝えたところ、すぐに受け入れてくれた。ただ、フランスのオーケストラの伝統的な演奏とは違う香りになるのが面白いですよね。
フランスのオーケストラを指揮することが多く、今回、自分になかったアプローチに出合えた。例えるなら、それまでは目玉焼きをしょうゆや塩こしょうで食べていたけど、リッチなデミグラスソースの味わいも知ることができた、と。今度は、しょうゆにデミグラスソースを2滴たらしてみようかといった“ミックス”もできるようになる。大きな財産です。
―定期演奏会のオファーをどう受け止めた?
2024年から音楽監督を務めるイギリスのバーミンガム市交響楽団は、指揮者の多くがベルリン・フィルを指揮する“チケット”を持てるという伝統があります。いずれは自分も、という気持ちはありましたが、46歳でというのは想定より早かったというのが率直な気持ち。60歳ごろにチャンスが来ればいいと思っていたので。
日本人の起用は僕で15人目だと聞いています。もちろん小澤征爾さんの客演回数がダントツで、道を切り開いてくださったことには感謝しかありません。加えて、僕としては、佐渡(裕)さんの次だということも大きい。佐渡さんに憧れて指揮者になったので。
―ベルリン・フィルとの音楽作りで得たことは?
当たり前のことですが、音楽を優先すること。多少レシピ(楽譜)通りじゃなくても、もっとおいしいものを作ろうというプロ意識の高さ、職人魂に触れられたのが最大の収穫です。だからこそベルリン・フィルは常にクラシック界の最先端にいる。さらに良い音楽を目指し続けていくエネルギーをいただいたので、今後の指揮活動に生かしていきたい。
―2026年にはベルリン・ドイツ交響楽団の芸術監督に就任する。
ベルリン・フィルと同じホールで演奏することになります。近くで活動できるのは大きな励み。しっかりと頑張ります。
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山田は2009年からベルリン在住。取材場所に一人で現れ、さわやかな風が街路樹の緑の葉を揺らす通りを歩きながら「6月はとてもいい季節。この時期に(ベルリン・フィルに)デビューできて良かった」と笑みをこぼした。
初日の公演直後に報道陣に取材対応した際は高揚感に包まれていたが、この日はすっかり落ち着いた表情に。残る2公演について尋ねると「初日のようにいくのか、全然違う感じになるか、決めてかかるもんじゃないので雰囲気次第です」。
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初日の公演直後の一問一答は以下の通り。
―演奏会を終えて今のお気持ちは。
僕の人生にとって歴史的な瞬間。1カ月前や2週間ぐらい前はすごい緊張していたんですが、(音楽監督などを務める)モナコのオーケストラや英バーミンガムのオーケストラが応援してくれて気持ちが楽になりました。
それでもちょっとは緊張していたのが、リハーサルが始まると、不思議なことにオーケストラがすごくオープンで。世界最高峰のオーケストラだから(指揮者を)見る目も厳しいのかな、通用するかな、と思っていたのが、僕が提案したことは全部受け止めてくださった。
僕のやりたいことをフォローしてくれ、一緒につくり上げた感があって、すごく幸せな瞬間でした。
―世界各地のオーケストラを指揮している。ベルリン・フィルは他とどこが違うのか。
21世紀は、どこのオーケストラも本当に素晴らしい。クオリティー的には日本のオーケストラも高い。アジアもそう。
ただ、ベルリン・フィルは(本番で)こう変わるんだ、こういうふうに音楽をつくってくるんだ、と。つやつやしたサウンド、豪華なサウンド、アンサンブルの音楽の羽ばたき方、ぐんぐんと羽ばたいていく飛翔具合はすごい。世界最高峰のオーケストラであることを本番で特に感じました。リハーサルまでも素晴らしかったんですけど。
―聴衆の反応に手応えは感じた?
もちろん。(最終演目)サンサーンスの最後、すぐに(聴衆から)「ブラボー」があんなに来るとは思っていなくて、ちょっとびっくりしました。
お客さんと一緒に作るのが音楽で、フィルハーモニーホールは指揮者がホールのど真ん中にいる。そんな会場はここしかない。真ん中で歓声を浴びて、特別な思いがありました。
―聴衆が正面にもいるのはどんな感じ?
前から見られるのはちょっと恥ずかしいですが、不思議と今日は演奏中、目の前にお客さんがいるとかあまり考えず、舞台上で音楽に集中できた思います。
―(昨年死去した)小澤征爾さんが主催する音楽祭に出演するなど関係が近かった。小澤さんが生きていたら、今日の演奏にどんなコメントをすると思うか?
怒られると思いますよ。小澤さんは厳しいから、良かったねの一言の後に50項目くらい、ここがダメだ、そこがダメだ、といっぱい言われたと思います。小澤先生もベルリン・フィルを指揮した時に、毎回カラヤン先生に怒られていたという話を聞きますから。
僕の中では今日はうまくいったと思うんですけど、きっと小澤さんなら許してくれないですよ。もっとできるはずだと、いい意味でプレッシャーをかける方ですから。
(取材・文=共同通信 須賀綾子)