新聞記者歴47年。取材でいろいろな方々と会ってきた。

 プロゴルファーなどスポーツ選手に限らず、政治家、実業家など多種多様。中でも最も感激した相手は、「さわやか律子さん」の愛称で絶大な人気を博した女子プロボウラー中山律子(なかやまりつこ)さんだ。女子プロ初の公認パーフェクトゲームを達成し、後に日本プロボウリング協会会長を務めた。

中山律子さん
中山律子さん

 その律子さんが宇都宮市内のボウリング場に現れ、なんと2人でコーヒーを飲んだのだ。わずか5分ほどだった。「律子さんとコーヒーを飲めるとは、感激です」とあいさつしたのを記憶している。平成に入って間もない頃だった。

 青木功(あおきいさお)プロには、怒られた。1978年の世界マッチプレー選手権で海外ツアー初優勝を果たし、83年のハワイアン・オープンで、日本人初の米プロゴルフ協会(PGA)ツアー優勝をしたばかりの時期だった。

青木功さん
青木功さん

 宇都宮市内の練習場で「ドリームレッスン」が行われた。先輩に「青木プロは茨城県出身だから」とレクチャーされ、現場で開口一番「青木さんは隣の茨城ですよね」とぶつけた。間髪入れず「バカ野郎。俺は千葉だ」と怒られた。

 多くの一流プロから愛されたトーナメント「ジュンクラシック」会場でも、多くのプロを取材した。印象深いのは日本プロゴルフ界のドン、杉原輝雄(すぎはらてるお)(1937-2011)プロだ。

 1957年にプロ入り後、62年の日本オープン選手権を皮切りに、2008年までに通算63勝(うち海外1勝、シニアツアー8勝)を挙げた実力者である。そんな大人物ながら、実に丁寧に取材対応してくれた。「今日のプロゴルフ界の隆盛はファンとマスコミの皆さんのおかげ。大切にするのは当たり前」。下野新聞など知るはずもないのに、嫌な顔一つせず応じてくれた。

 正反対に、態度が悪い一流プロもいた。ボギーを勘違いしたギャラリーが「ナイスパー」と声をかけたところ、グリーン上で「バカにしてるのか!」と怒る始末。一時代を築いた人気プロだったが、何と情けないことか。

 感激とともに驚いたのは、元プロ野球選手の稲川誠(いながわまこと)さんと会った時。オールドファンならご存じの大洋ホエールズの大投手だ。入団2年目の1963年に球団史上最多の26勝をマーク。翌64年も21勝を挙げ、秋山登(あきやまのぼる)さんと共に大洋投手陣の両輪として活躍し、通算83勝の数字を残した。

 昭和50年代後半のことだ。本県出身の投手を取材するため、大洋2軍球場に出向いた。ベンチで練習終了を待っていると、当時コーチだった稲川さんに声をかけられた。

 「どちらの新聞?」

 「知らないでしょうが、栃木の下野新聞です」と答えたら「下野さん。よく知っているよ」。

 驚いた。

 稲川さんはチョウの収集・飼育に関して専門家はだしとして知られている。日本に生息するチョウのほぼ全種を標本として収集しているという。宇都宮大に知り合いがいて、本県にはよく足を運んでいたという。現在、88歳になる。

 これからの記者生活、どんな人物に出会えるのか楽しみだ。「一期一会」を大切にして取材に当たりたい。