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 宇都宮市の中心部が焦土と化し、620人以上の命が奪われた宇都宮空襲から12日で80年。栃木県内最大の戦災を知る体験者は日を追うごとに減り、継承を担ってきた市民団体の活動は先細っている。あの日をどう伝えていくのか-。散逸しかねない資料を行政が引き継ぐこともあり、わずかながら光明が差すが、道のりはなお険しい。「まだ空襲は終わっていない」と戦災を巡る事実をさらに掘り起こそうとする動きもある。より深く宇都宮空襲を知るための取り組みだ。

戦後復興のシンボル・大いちょう(左手前)方向から望む市街地。空襲で焼け野原となった街は80年を経て発展を遂げる=11日午前11時30分、宇都宮市中央2丁目、永嶌理絵撮影
戦後復興のシンボル・大いちょう(左手前)方向から望む市街地。空襲で焼け野原となった街は80年を経て発展を遂げる=11日午前11時30分、宇都宮市中央2丁目、永嶌理絵撮影

 3日、宇都宮市内で開かれた市民大学の講座。テーマは宇都宮空襲だ。