太平洋戦争中、県内最大の戦禍をもたらした宇都宮空襲から12日で80年が経過した。惨状を知る体験者は年々減少し、記憶の継承が課題となっている。これまでに集まった体験談や空襲の実態を伝える資料を有効活用し、後世へ伝える拠点となる資料館などの整備を検討すべき時ではないか。
宇都宮市は1999年から2年かけて「戦災記録保存事業」を実施し、宇都宮空襲に関する大規模な調査を行った。体験者の証言や資料を集め、報告書「うつのみやの空襲」にまとめた。
その後も戦災関係資料の担当者を置き、市民から寄せられた資料などを受け入れている。毎年7、8月には宇都宮城址公園清明館で「うつのみやの戦災展」を開いている。市が保管する戦争関連の資料は写真や日記、遺品など約500点に上るが、常設展示する施設はない。
前橋市は戦後80年に合わせ、前橋空襲(1945年8月5日)と復興の歩みを伝える「前橋空襲と復興資料館」を今年4月に開設した。体験者が減少する中、「非体験者が語る公的資料館」に位置付け、資料の収集・保存と展示に取り組む。
展示スペースは市民文化会館2階の一角、約175平方メートル。空襲の体験者らが自主的に運営していた民間の資料館から寄贈された資料などを活用した。整備に当たっては、有識者による検討会などを経て「空襲の記憶を風化させない」との危機意識を官民で共有したという。
新潟県長岡市は、長岡空襲(45年8月1日)を記録・保存し継承する「長岡戦災資料館」を、市民ボランティアと共に運営している。空襲を語り継ぐ市民活動や平和学習の場となっており、空襲の体験談や犠牲者の遺影などの資料収集も続ける。
現在は民間ビルの中にあるが、開設から22年たち、来年は市有施設に移転する予定だ。「恒久的な伝承施設」として再整備し、展示内容も充実させるという。
前橋市や長岡市の取り組みは、宇都宮市にとっても参考になるはずだ。
市民団体「ピースうつのみや」は、市民を対象に空襲体験者による語り継ぎや市内の戦跡巡り、空襲関連の資料収集と展示を行ってきた。毎年7月12日には市中心部の田川で、犠牲者を追悼する灯籠流しなどを行ってきた。
だが会員の高齢化に伴い、今夏で活動を休止する。団体が集めた資料の一部は、県立博物館が引き継ぐことになった。市としても、その役割を担うべきだろう。
宇都宮空襲の犠牲者は「620人以上」とされるが、市の戦災殉難者名簿には230人の名前しか記されていない。焼夷(しょうい)弾が落下した範囲や焼失家屋など、不明な点は少なくない。調査を継続する必要がある。
空襲の被害が集中したJR宇都宮駅西側の大通り沿線は、高層マンションの建設や老朽化したビルの建て替えが相次ぎ、次世代型路面電車(LRT)の延伸も予定される。
市の平和都市宣言には「今日の繁栄は先人のたゆまぬ努力によって築かれたものであることを忘れてはなりません」とある。発展を遂げようとする中、宇都宮空襲の記憶を置き去りにしてはならない。